カムイスペースワークスブログ

CSW (1)
北海道に生まれた民間宇宙開発企業カムイスペースワークス。
略して「CSW」
まずはブログで情報発信開始です。
「そんなこと出来るわけがない」「食っていけるわけないだろ」
なんていう大人達をひっくり返すことを目指して突っ走ります!
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2006年12月18日開設
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品川プリンス(植松) | カテゴリなし 2010/02/08 17:37
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002857541
今日は品川プリンスホテルで、素敵な企業の研修会でした。
午前にお話を聞いていただき、午後からは、なんとペーパークラフト教室です。
よい大人が、紙とはさみと格闘です。
でも、みなさん真面目です。
子供の頃の話なんかにも花が咲いています。

それ、いみなくね?
って思ったら、きっと終わりです。
意味は自分で考えて、自分の人生に勝手に利用するものです。
この企業の人達は、みんなが意味を考えてくれました。

社長さんが、北海道は名寄市の出身だそうです。
熱くて素敵な人でした。
だから、集まる人も素敵なのだと思います。

首をひねりながら、悩みながら、社長さんも真剣にペーパークラフトをつくるのです。
嬉しかったです。

おこさんのためにって、もらってくれる人も続出でした。

正直なところ、すごく不安でした。
だれも作らなかったらどうしようって心配していました。
だから、ホッとしました。

その後は1時間もの質疑応答です。
父として、働くものとして、みんなの素敵な質問が嬉しかったです。みんなが真剣でした。

すっかり元気を充電されました。
だから、明日もがんばるぞ!




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名古屋から東京へ(植松) | カテゴリなし 2010/02/07 11:40
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002857159
快晴!
ロケット飛ばしたい青空です。
昨日は、西春のそばの小学校で、子供会のロケット教室でした。
素敵な保護者の方々が、頑張って段取りをしてくれました。
会場を提供してくれた小学校、中学校にも感謝です。開かれた学校、といううたい文句は、どの学校も掲げています。でも、実際には、書類上は参観オッケーって書いてあるだけとか、町のイベントにちょっと関わるだけで、「開かれた」という条件は満たしている!という学校が多いです。
ただ、困った人が多いのも事実です。学校はこどもの安全に責任があります。 ただ、仕組みとして、この人はいい、とか、こういうケースはだめ、とか、規制や条件をつくると、規制に引っ掛かるのは、まともな人ばかりで、はなから規制に従う気のない人はスルーです。
トラブル対策をすればするほど、まともな人を遠ざける結果になります。だから、学校を開くのは難しいです。
でも、出来ている学校もあります。
まちがいなく、校長先生をはじめとした先生が、保護者や地域の人と、よく話をし、心を開いています。
だいじなのは、心です。
責任とは、なにか?
実は人生の責任なんて、だれも負えません。
保険に入ってお金をもらったって、元には戻らないです。
だけど、人は、どんな目にあっても、かならず成長します。
だから、大丈夫なんです。
「先生の指導に従って勉強したのに受験に失敗した!責任を取れ!」なんていう保護者はすくなくありません。
でも、受験に失敗することは、本当にダメなことですか?
もしかしたら、その学校がひどくて、行っていたら大変なことになっていたのを、回避できたのかも。
僕は大学院を受験して、合格したけど、ちょっとした手違いで留年することになり、大学院合格も取り消しになりました。
絶望しました。
でも、そのけっか、名古屋で飛行機をつくる会社に入れましたから、留年してよかったです。
きっと、責任論をふりまわす人は、失敗をだれかのせいにして、自分を正当化しないと不安でしょうがない人です。
状態はいくらでも変えられるのに、未来の可能性を、もうだめだ、のひとことであきらめる人です。

そういう人を減らしたら、世の中はもっと楽になるはず。
だから、ロケット教室をしています。

人生はいつでも変わります。
悪くなったと思ったときに、責任をだれかのせいにするひとは、いいほうに変わったとき、誰かに感謝してるでしょうか。
不運なときに、自分の行いをよくしてみようと思うか、自分がついていないのは、なにかのせいだ!って呪うか。

過ぎた時間は取り戻せないから。
塗った色は消せないから。
でも、いくらでも上書きできるから。

先日、なんだか突然、超時空要塞マクロスがみたくなりました。
見ました。
ゼントラーディ語を意外と覚えている自分に驚愕しました。
そして、エンディング。
天使の絵の具、という歌。
天使の絵の具で、青くブルーに染まった心を、自由に思いのままに塗り替える。
未来は自由。
雪は冷たいけど、大切な水の貯金に役立つ。
悲しみも苦しみも、何かのせいにして思考を止めてしまわずに、ゆっくり、おそるおそる向き合って、なんでだろう、って考えたら、心のひだが増えていく。
そして、おなじ悲しみと苦しみを救える。
救える人は、だれかに救われる。
本当のGive and Takeの連鎖につながれる。
手をつなげられる。

学校の先生は、不安でいっぱい。
先生という肩書に、マスコミやクレーマーが背負わせる負わなくていい責任の可能性を、必死で避けようとする。
それは当たり前の行動。だれだって、負いようのない責任は負えない。

だから、学校を開くために大切なのは、くだらない責任から先生を守る仕組み。
我が子の未来を、受験や成績で「誰かに」保障してもらおうとせず、人としての能力を高めることで未来を切り開く力を与えることの価値をみんなで信じること。
なにかのせいにしないで、なんでだろうってかんがえること。
おれしらねー、かんけーねー、じゃなくて、なんでだろうって考えること。
それがきっと大事。
それだけで、まちがいなく、きもちいい社会ができる。

だから、ロケット教室をしないとね。
できれば赤平にも遊びに来て欲しい。
そんなことやってなんになるの?くだらない、生きていくのに必要ない、関係ない、だから知らなくていい、おれしらねー、から、心を救うためにも。

いま、企業は学歴なんてきにしない。
大切なのは、人としての力。
まだ評価システムがないから、教育システムもできていない。
だから、つくればいい。
つくらないほうがいいような気もするけど、でも、あったら、気付きのチャンスがふえるはず。

みんなの智恵でつくれるさ。
だから、みんなで、おかしなことや、いやなこと、腑に落ちないことを、代表的仮想敵を攻撃したり呪ったりせずに、なんでだろう?だったらこうしてみたら?って考えよう。

きっと良くなる。
頑張ろう。

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京都から名古屋(植松) | カテゴリなし 2010/02/05 21:45
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002856668
今日は京都の小学校で、授業参観をさせていただいてから、そこに参加していた全国の学校の先生にお話を聞いていただく機会を得ました。
私立の小学校は、全国にも少ないので、勉強になりました。
そこでは、まるて中学か高校のような授業が展開されています。
特徴は、社会の授業中に、英語でならったことや、国語でならったことなどを、どんどん引き出して振り返るということです。
他の先生がどんなことを伝えているのかを、みんなが把握しているように見えました。
単教科ではなく、うまく融合しているみたいです。
理科の授業では、振り子の周期をストップウオッチで生徒が測定しています。
かなりの精度が必要です。
かと思えば、算数では、数字のならしかたを学んでいます。
国語では、原文と現代の漫画での表現の違いなどを掘り下げています。
どちらが正しい、ではなく、違いと、その意味や理由を考えています。

絵や工作も、独特の展開です。

すべてに言えるのは、先生が楽しそう、ということです。
そして、わかりやすくする努力はしているけど、手加減はしていないということです。

そんなこと、低学年に理解できるの?ってことを、理解しています。

通して感じられたのは、間違いなく、この授業は、研究開発できる人材を育てる、という予感です。
かなり参考になりました。
こういうチャンスをくれたのは、植松電機への期待だと思います。
期待に報いるためには、行動です。

沢山の素敵な先生にもであえました。
みんな、様々な方法で、同じ北極星に向かっています。
仲間です。

頑張ろうよ!
あきらめかたを教えないために!

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素敵な質問(植松) | カテゴリなし 2010/02/03 21:03
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002856076
紋別の高校生の質問は素晴らしかったです。
企業の社長さん達からだって、こんな質問はもらったことがないし、工業系の大学生からも、もらったことはないです。
最初の質問は、
「ものを作るときや、開発するときには、どんなことに気をつけていますか。」

奇跡は仕様書には書かれていません。
要求が間違っていることもあります。
だからこそ、「なんに使うの」「何を目的にするの」を考え抜かないといけないよ。
へんなものつくらされて、最後にツケをまわされるのは、「なぜ?」を考えない人です。
だから、とにかく、考え抜かないといけないよ。
答えがでなくてもいい。
なぜなら、人は成長するから、考え方はかわるから。
いやー、もっともっと伝えたいことがありました。

だから、続きます。
いま、浜松につきます。

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名古屋から浜松へ(植松) | カテゴリなし 2010/02/03 20:28
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002856061
昨日はオホーツク海に面した紋別市の高校でお話をさせていただきました。
行きはツルツル路面で泣きそうで、帰りは猛吹雪で泣きそうでした。
でも、であえた高校生は、素敵でした。
その原因は、やっぱり先生の志し(こころざし)かな、と思います。
こころざしは、士の心です。

いまから、浜松に移動です。
明日は浜松の小学校でロケット教室のあと、企業の方々にお話を聞いていただき、すぐさま京都に移動です。
また、ばたばたツアーの始まりです。
本州の移動は、自分で運転しなくていいから、楽だけどね。
また、帰れるのは10日後です。
がんばるぞ。

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松山から仙台へ(植松) | カテゴリなし 2010/01/27 09:40
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002853693
坊ちゃんの舞台でありー秋山兄弟のゆかりの地である松山をあとにして、仙台を目指しています。
東京から新幹線の予定でしたが、昨日、伊丹経由の飛行機がはやいということを教えていただいたので、現在は伊丹で乗り換え待ちです。
一昨日は、東京の杉並公会堂で、約800人から900人の、若手経営者の方々にお話を聞いていただく機会を得ました。
主催して下さったのは、信用金庫さんです。この信金さんは、工夫やアイデアの嵐でした。驚きました。
いま植松電機が支えていただいている北海道の銀行も、今までの常識とはかなり違う視点で、素敵ですが、そういう銀行が増えてくれると、きっと日本の力は増えていくと思います。嬉しいです。

杉並公会堂という名前には、不思議な懐かしさを覚えました。
それもそのはず。ドリフターズのホームグラウンドだったステージでした。
なんだか嬉しくなりました。
お話の後は、厚さ2センチになるほどの名刺交換でした。
沢山の人が、帰る時間を遅らせてまで、僕に会ってくれました。
仲間です。
おなじ北極星を見る、仲間です。

翌日の松山では、商業会同友会という、聞き慣れない集まりでした。
ところが、仰天です。
十訓を唱和したのですが、最初から、「損得より善悪を考えよ」です。
こういう組織があったんだ!?と、目が眩みました。
案の定、関わる人達はすばらしく、すっかり元気を充電されました。

不景気だからこそ、真実が輝くようになったのだと思います。
だから、いまこそ、「きれいごと」を実行して、「きれい!」にしましょう。

これから搭乗です。

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福岡、そして名古屋。いまは東京、明日は愛媛(植松) | カテゴリなし 2010/01/25 11:33
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002853129
22日は福岡で、幼稚園の先生や経営者の方々にお話を聞いていただけました。
僕は幼稚園や保育園は大好きです。
初恋の人は、幼稚園の先生だったと思います。
幼稚園時代の記憶は、驚くほど残っています。
でも、小学校低学年の時と、中学校の時の記憶は、驚くほどありません。
なぜなら、学校が嫌だったからです。先生が嫌だったからです。
好きな先生がいるときの記憶は、色鮮やかで鮮明です。
でも、記憶は消せないから、きっと、記憶がない、のではなく、
思い出したくないから封印しているのだろうと思います。

僕の話を聞いてくれる人の中にも、
「理想論だ、くだらない」
「きれい事を言うな」
「自己啓発セミナーかよ」
「とはいうけどさあ」
と言ってくれる人が多いです。

理想論がくだらないのはなぜでしょうか?
僕の知っている限り、人として尊敬できる方々は、たいてい、理想や夢は大切だよ、と
言っています。
何もしてない人の多くが、理想はくだらない、といいます。
それは、何もしていないことを正当化するためなんだろうな、と思います。
誰かのやっていることを、ちゅうとはんぱだ、といってバカにする人もいますが、
そういう人は、たいてい、何もしていません。
あ、何もしてない、というのは間違いですね。呼吸しているし、食べてるし、排泄しています。
「よりよくしよう」としていない、と表現すべきかもしれません。

よりよくなんてならないんだよ。だから、くだらないこと言ってないで、まじめにやれ。

まじめってなんですか?

あらがわないことですか? 自分の心を殺して従うことですか?
我慢は努力とは違います。

きれい事だ、というひとは、たいてい、きれいに生きる努力をしません。
自分がしてしまう悪事を正当化するために、良いと思えることをきれい事、と言うのです。
食ってくためにはしょうがない。
しょうがないから、悪いことも、嫌なこともしてしまうんだ。
以前、あるホームセンターが閉店するとき、大安売りをした結果、
お店に人が殺到してしまいました。
レジも大混雑で、秩序が無くなったそうです。
そこで「いつまでまたせるんだ!」と腹を立てた人たちが、
「待たせる店が悪いんだ!しょうがないんだ!」といって、レジを通らずに店を出てしまったそうです。
それって、万引きどころの話じゃないですね。
そしてそれを、飲み屋などで自慢するのです。
「店が悪い!おれは正しい!」と。

自己啓発セミナーは、こないだある芸能人の人が、テレビでいろいろだまされたと言っていましたが、ややもすると、危ないようにとられることが多いです。
なんだか、どなったりさけんだり、集団洗脳的だったりするものも多いようですから、
僕自身、近寄りたいとは思わないです。
ただ、本来は、啓蒙啓発は大切だと思います。
本を読み慣れていない人が、人に読んで聞かせてもらってるうちに本が好きになる、というのは
おかしくない啓蒙啓発だと思います。
啓蒙啓発は勉強です。
ただ、勉強にも二種類ありますね。
自ら知りたくて学ぶものと、強制的に暗記させられるものです。
危ないイメージの啓蒙啓発は、暗記型なのかもしれません。
暗記の価値を盲信させられ、暗記の結果の明るい(はず)の未来を言われるがままに信じさせられ、自分の人生の時間やお金をそこにつぎ込まさせられる。
これは、かなり危険な感じですね。
でも、本当の学びとは、そんなもんじゃないです。

とはいうけどさあ。は、もう聞き飽きましたね。


なんとなく、自分のことが嫌いな人たちが、
嫌いな自分をしょうがないよ、と正当化するために、
他者の努力を否定し、けなし、意味なくね?わけわかんね?くだらねえ。
と言い切るのかな、と思います。

で、そういう人に出会ってしまうと、
「なんで俺はこんな苦労をしながらしゃべってんのかなあ・・・」とつらくなることがあります。
そんな心を支えてくれる人がいるから、なんとか動けているような気がします。

福岡の幼稚園の先生方は、すてきな人たちでした。
若くてきれいな女の先生が多いから、緊張します。
でも、そういう先生達が、子ども達のことを一生懸命に考え、そして、がんばって、
そして、しんどい思いをして、でもがんばっています。
そういう人と出会えると、僕もがんばろう、と思えます。

翌日は、福岡の小学校で保護者向けの講演と、ロケットの教室です。
休みの日ではありましたが、PTA連合会の方々が、がんばって準備してくださりました。
そこでも、がんばってる人に出会えました。
しんどいことや、つらいことに、向き合う人たちです。
午後からのロケット教室でも、すてきな子達にあえました。
沢山の子が、残ってくれて、片付けてくれて、話しかけてくれて、考えてくれて・・・。

悩みのない人はいないと思います。
でも、その悩みを、「誰かのせい」「何かのせい」「自分のせい」にしたらいけません。
なんでだろう、と考えたらいいです。
愚痴を言ったり、誰かを見下したり、バカにしたりしてる場合じゃありません。
悩みと向き合う人が、僕の話にうなずいてくれるのかもしれません。

翌日は朝一番で福岡から名古屋に飛びました。
さすがに連日なので、だんだん疲れてきました。
名古屋のイベントは、ちょっとした行き違いや問題もあり、
本当はあんまり気乗りしなかったものでした。
でも、年賀状に「楽しいにしている」と書いてくれた子どもがいたので・・・。
とにかく、天候に恵まれました。
晴天。ほぼ無風。
ロケットの制作や打ち上げをしっかり支えてくれたメンバーの方々のおかげで、
無事に終えることができました。
最近、こういう企画に参加する子は、ほとんどが幼稚園から小学校低学年です。
中学生で参加してくれる子は、貴重な存在です。
小学生も中学生も、忙しすぎます。
でも、一生懸命とは、一個しかしちゃだめ、という意味じゃないんだけどなあ。
一個しかしていないと、それができなくなったり、それの意味が失われたときに、
費やしてきた時間の重さで心が壊れます。
もっと良くないのは、ほかのことをしてみたいのに、それが許されない状況を
正当化するために、自分がしている努力以外のものはすべてくだらない!と、
周りを見下してしまう存在にさえなってしまう危険性があることです。
今回、幼稚園の子達もがんばって話を聞いてくれました。
小学生向けのお話も、やっぱり50分くらいはかかります。
普段は、幼稚園向けのお話は、15分から20分くらいです。
でも、今回、小さい子達も、50分の話をきちんと聞いてくれました。
というか、たいてい大丈夫です。
保護者と離れて子ども達だけで座っていたこと。そして、年齢差のある子達が、
いっしょに座っていたことが重要だと思います。
同じ年齢の子が密集していると、ざわざわしてしまうことがあります。
周りを見回したとき、みんなが自分と同じように感じていることを知るからです。
でも、周りの人が真剣に聞いていたりすると、きっと自分もそうしなくちゃ、って
思うのかもしれません。
そして、ちゃんとロケットを作って、ちゃんと飛ばせるのです。

すくなからずの大人は、「こんな長い話、子どもにはわかるわけがないし、必要ない!」
「こんな難しいロケット、子どもに作れるわけがない!」
なんて言ってしまいます。
でも、子どもをなめちゃいけません。
自分ができないことを、他の人もできないと、おもいこんではなりません。
自分ができないことを、小さい子どもができるわけがない、とおもいこんではなりません。
自分が理解できないことを、他の人も理解できない、と思い込んではいけません。
自分の方が優位で優れているから、自分よりも劣る者には無理だ、なんて
おもわないでください。それこそ、うぬぼれるな!です。
でも、そういう大人は沢山います。

僕は、子どもと関わるとき、相手がどんなに小さくても、
あやす必要がある時意外は、絶対に幼児言葉を使わないようにしています。
なぜなら、自分は幼稚園時代の記憶を沢山持っているからです。
子どもも人間です。劣位の存在ではありません。
大人だって、子どもよりもできない人は沢山います。
図体のでかさや、重ねてきた年齢だけで、優位である、と思い込む人たちは、
決して追い越されない要素だけで、勝負したがる人たちです。
過去の経験を自慢する人は、現在努力していない人です。
そういう人は、人の可能性をバカにします。
そして、人の絶対値だけを評価しバカにします。
知らないこと、やったことがないことを、バカにします。
だから、知らないことが恥ずかしくなり、やったことがないことが恥ずかしくなります。
だから、知らないことを、「知る必要がないくだらないことだから知らないだけ。」
やったことがないことを「やる必要がないくだらないことだからやらないだけ。」
と、見下して否定するようになります。

ぐだぐだ評論したり、見下したりしてる暇があったら、「やれ!」ばいいのに。
やらないことを言い訳するために、人の可能性をバカにするな!

今日は、銀行の方々に話を聞いていただくことになっています。
お金はくだらないよ、って言いにくいですね。
ただ、本当の銀行は、お金の本当の意味を知っています。
だから、良い銀行は、可能性を信じます。そして、お金以外の投資もしてくれます。
お金は使って価値を増やすことに意味があります。

明日は愛媛。
それから仙台。
2月もかなり目白押しです。

がんばります。



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生きるために役に立つ本(植松) | カテゴリなし 2010/01/22 08:57
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002852156



「生き残る判断 生き残れない行動」

京都の本屋さんで見つけました。
おもしろい本です。
災害や事故のときの人間の行動について、従来とはちょっと違う視点で
書いています。

ピンチになったら、周りが見えなくなってしまうこと。
多くの人が、自分は大丈夫だ。と盲信することで、命を落とすというようなところから
スタートしています。

読んでいて、これは、災害や事故という悲劇的で暴力的なこと以外にも
あてはまるなあ、と感じました。

流血や破壊を伴う暴力以外に、平和的な暴力があることを
多くの人はなんとなく知っています。
CAPでは、人の「安心」「自信」「自由」を奪うのは、暴力だと定義していますが、
流血や破壊を伴わないと、法律での取り締まりができないから、罪として定義されません。
でもそれは、罪がないからやっていい、ということではないはずです。

残念なことに、自信の無い人たちは、安易に自分の周囲に自分以下を作ります。
卑怯なことに、罪にならないように、圧力をかけ、追い込んでいきます。
実際には、犯罪を犯しているケースもあるのですが、知らない人はそれに従ってしまいます。

自分の力ではどうにもならないような真っ黒けの圧力を食らった人は、
この本に出てくる、被災者と同じ状態になるのだと思います。
僕もそういう思いをしたことがあるからです。

自分の感覚を遮断し、何も起きていない、と言い聞かせるしかなく、
小さな自分の部屋のなかでの世界に逃げ込み、
卒業すれば大丈夫。時間が解決してくれる。って、ことを期待し続けた日々がありました。
根拠のない希望的な観測をしていたのです。
でも、自分でそこから脱出する努力はしていませんでした。
ただ、僕は、逃げ込んでいる時に、ペーパークラフトを作っていました。
これは、きっと、スキルアップになったのだと思います。
のちに役に立ったからです。
逃げたときに、暇つぶししかしていなかったら、大変だったと思います。
だからこそ、普段から、何かを作るという趣味は持っていた方がいいような気がします。

僕のとった行動は、どうにもならないことから自分を守るための普通の行動だそうです。
ということが、この本に書かれています。
もちろん、そういう行動が、生存につながらないですよ、ということも書かれています。

この本には、正しい脱出のための心の持ち方が書かれています。
そして、脱出できなくなってしまう心の形も書かれています。
たんたんとした、ちょっと堅苦しい文章ですが、読みやすいです。
「あ、これって・・・」って、自分とかぶらせて感じられる部分があるはずです。
そうしたら、これから出会うはずだった「絶望」に向かわないですむとおもいます。

良い本です。


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新作(植松) | カテゴリなし 2010/01/22 07:52
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002852148



今回出張の間、久々にペーパークラフトに挑戦しています。
今回は、コーカサスオオカブトをがんばってみました。

なにせ、コーカサスは、背中の日本の角が面倒くさい。
いままで、3年トライし続けて、挫折し続けてきました。

作っても作ってもうまくいかない。
キーッ!となってしまいました。
そういうときは、しょうがないから、クワガタに逃避です。
クワガタでも、胴体や足の部分はコーカサスと一緒ですから、
逃避とはいえ、少しはスキルアップになりますから。

今回、かなり気をつけたのは、
(1)まずは、しっかりと正面図と側面図、上面図を書く。
(2)基本の背中を、おおよそ切り抜いて貼り合わせて作る。
(3)形になったら、それを切り開いて平らに戻す。
(4)それを、トレーシングペーパーに移して、細部を整頓する。
(5)それを、黒い画用紙に移して、作ってみる。修正する。それを図面に反映する。
(6)背中が確定したら、角へ・・・

今回は、角を、パイプとして考えてみました。
それが成功の元だったようです。
いままでは、多面体として再現しようとして挫折していました。
角も、上記の(1)〜(5)のプロセスをとって作りました。

複雑なペーパークラフトを作るとき、実は重要なのは、
※何をしたかを記録に残す。
※その結果、何が起きたかを記録に残す。
※改善を記録に残す。
です。
トレーシングペーパーはとても便利です。
図面を別な紙に簡単に移せるし、
鉛筆の粉の定着が弱いので、きれいに消せるし、
裏からこすったら、簡単に画用紙に鉛筆の粉を移せます。
旧ラインの裏面から新ラインを書き込むことができます。

トレーシングペーパーを使うようになったのは、小学3年生の時からです。
初めて手にしたペーパークラフトの本は、切り抜く本と書かれていましたが、
切り抜いてしまったら終わりなんです。
そうしたら、さすが二宮さん。(良く飛ぶ紙飛行機集の著者)
トレーシングペーパーでうつしとって作りましょう、なんて書いてあります。
そこで、トレーシングペーパーというものを知りました。

多くの人は、大学に入って、製図の時間に初めてトレーシングペーパーに触れたようでしたが、
僕にとってはなじみのある紙でしたから、大学の製図の時間も楽勝でした。
いまは、CADだから、トレーシングペーパーには一生触れないかもしれないねえ。

実は、ビジネスでも、研究開発でも、何でも、ペーパークラフトと同じです。
反射的に対応してもできることもありますが、
記録を残さないと前に進めないことが多いです。
実験なんて、まさにそうです。
記録を残し、基準を作り、そこと比較しながら前に進まないと、
何やってるんだかわからなくなります。
どこを比較すべきか? どこを知りたいのか? そのためにはどんな実験をすべきか?
影響を与える要素は何か?それをどうやって固定化して、事象を浮かび上がらせるか?
このセンスを磨くために、ペーパークラフトはとても役に立っています。
直接的には関係ないように思えるかもしれませんが、
人間の脳みそはとてもがんばるんです。
プラモデルでもいいです。
ガンダムのプラモデルは、組み立て説明書が細かいです。
部品の形状も前後左右がわかりにくいことが多いです。
それが、二次元に書かれています。それを頭の中で立体視して、
組み立て方を考えていくのは、間違いなくよい刺激になります。

人生も、研究開発と同じです。
毎日未知と出会うのです。
だから、記録を残した方がいいと思います。

ペーパークラフト。だまされたとおもってやってみたらおもしろいです。
入門のおすすめは、小学館の図鑑との連動シリーズの
「小学館の図鑑NEOのクラフトブック」です。
基本的には、雑誌の付録のように、のりを使わないで、スリットに出っ張りをはめ込む
方法で組み立てるのですが、そのままではとても弱くてすぐに分解してしまいます。
だから、普通に組み立てた後、接着剤(紙用速乾木工用ボンド等で十分)などで
出っ張りを接着したり、切り抜いたあまりの紙で、裏から補強を接着したりしていくと、
それはもう、立派になります。
ちなみに、すでにカット済みなのですが、ぷちぷちした接合部があります。
そこを、手でむしると、とてもかっこうわるくなります。
だから、はさみでぷちぷちを切るといいです。
やむを得ず手でむしるときは、プチプチ部分を、何度か折り曲げて弱くするときれいです。

間違いなく、しらんまに、研究開発できる人間になってるはずです。

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おもしろい本(植松) | カテゴリなし 2010/01/21 11:14
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002851856
最近、ものつくりに関する漫画が多く出版されるようになりました。

この分野を拓いたのは、
「なっちゃん」という漫画からかもしれません。

つぎに見つけたのは、
「とろける鉄工所」です。

「ホームセンターてんこ」もおもしろいです。

そして、昨日、
「シブすぎ技術に男泣き!」という漫画を見つけました。
これは、おもしろいです。

いずれも、本屋でちょっと探すと見つかると思います。


シブすぎ・・・で、こんな台詞がでてきます。
「いいものをつくりたい・・・・だからやってられるのです」

そうそう。
お金とか、収支とか、たしかに大事だけど、
「いいものをつくりたい」「もっとよくしたい」
という心が無ければ、がんばることなんて不可能です。
がんばらないでおきる奇跡なんてありません。

時代は変わっています。
だからこそ、変化が必要です。
同じことをし続けていても、周りは変わっているから、おいて行かれるんです。
だからこそ、維持も確かに大切ですが、維持しつつ、変化しなければいけません。
だから、かならず、企業には研究開発が必要です。
研究開発って言うと、製造業の話に聞こえるかもしれないけど、
100円ショップだって、手書きのポスターとか、とても工夫してあります。
どんな仕事だって、「よりよくするための工夫」は可能ですし、
したほうがよいです。なぜなら、すればするほど、能力やセンスが磨かれるからです。
もちろん、工夫の結果が裏目に出ることもあると思いますが、
それは「なんでかな?」と考えれば、かならず貴重なデーターになります。
失敗をしないためには、何もしない、が一番簡単ですが、
何もしていなかったら、簡単において行かれます。

そして、個人にも研究開発が必要です。
個人の研究開発とは、趣味です。
売ってる物を買うだけではなく、さらに一工夫、余計なことをするのです。
ペーパークラフトや、プラモデルは、いくらでも工夫できます。
工夫したとき、オリジナルになります。そしてそれは、ビジネスになることもあります。
前回、ここうまくいかなかったんだよねえ・・・今回はこうやってみよう!
これで、もう、立派な研究開発です。

そんな心を刺激するよい漫画がどんどん出てきました。
よんだらいいです。

対象年齢別には

小中学生、高校生=ホームセンターてんこ

高校生、大学生、社会人の新人=なっちゃん

社会人、苦労人=とろける鉄工所、シブすぎ・・・

かな。


シブすぎの最後に、
「たとえ報われなくても、いいものがつくりたい!!」とあります。
他者評価ではなく、自己評価。
他者評価を自己存在にしてしまうと、身を飾ることでしか自己を保てなくなります。
一生、他者からの評価を高めるためにもがきます。
でも、評価してくれる人が問題です。
よき仲間の場合は、よいと思います。
でも、テレビだとかに評価してもらうと、彼らは基本的に、消費を促す企業のための
仕事をしていますから、消費を拡大することを「よし!」としますので、
一生、消費させられるはめになります。
次々と流行を追いかけさせられます。

でも、自分で自分を評価するのです。
そのとき、やっぱり基準が欲しいです。
その基準を、自分のなかに取り込むためにも、本を読んだらいいです。
伝記です。手記です。
あきらめなかった人たちの生き様を心の中に入れておくと、
自分の「普通」の基準があがっていきます。

だから。漫画でもいいから、良い本を読んでほしいです。
良い本とは、「あきらめ方が書いていない本」です。
僕にとってはね。





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