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    <title>Favorable Wind</title>
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    <description>CURURU（クルル）は、ブログとSNS両方の機能を備えた次世代コミュニティサイトです。会員登録は無料。完全招待制ではないので誰でも参加できます。</description>
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    <title>なれば分かる、やれば分かる</title>
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    <description>やってみて分かること、なってみて分かること、その立場や環境に 置かれて分かること、勿論です。当然です。何の疑問もありません。 それでも、疑問があります。少なくとも私はなるべく言わないように しています。せいぜい、私は△△をやってみて○○のように感じた けど、かなり人によって感じ方が違うように思うので興味があれば どうぞ、くらいには言うようにしています。 同じような立場の人が何人かいてある話題の共通認識があるなか、 それを知らない人がいて、その人に対して話題の物事の良さなどを 語った以上、その人が”どのように？”と訊いたなら、話をした以上 答える義務はありますね。 共通認識を持った者同志が阿吽の呼吸で同調し、”やって（なって） みなければ、わからないよね？”と言い合うのは会話としてちょっと 反則だと思います。 そのような状況下で話をしたのなら、どのように？、なぜ？、という 疑問には答える努力をすべきであって、そこでどうしても説明でき ないのであれば、説明することばを持ち合わせていないことを軽く 詫びなければならない、とすら思います。もし私なら、そうですね、 うっかりそう言う話題を出してしまったら、”ここまでは説明できる けど、それ以上の言葉がどうも見つからずごめんなさい。関心が あるのなら、やり方とか情報源を紹介するよ”くらいのことは言い たいと思っています。 文章で書くとなかなかキツくなりますが、What, When, Where, Who よりWhy, How を知りたくなる者にとっては本当にそう感じるのです。 グチを言うだけ言って、その様子を訊いたところで”なってみな ければ分からない”と言われると、訊かされた方はたまらない ですね。 敢えて理由を並べるなら、�質問に応えてくれないこと、�聞か された話題が情報として役に立たないこと、�まるで非難された ような言いぐさ（説明されないでも、分からないのか？的な）、� 実はひとり悦に入っている態度、などでしょうかね。 まぁ、話をするなら伝える努力をした方がいいかも知れません。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-18T00:06:12Z</dc:date>
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    <title>モバイル万歳</title>
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    <description>現実か？仮想か？ 現実、物理的、現場、現物、生の持つ情報こそが本物であるので、 ずっと多くの情報量を持っているのだ、などとは言いません。 まったく近頃のヤツはヴァーチャルばかり言って・・・、と私が言うと 思った方、意外だったのではないでしょうか。 その場に居合わせても、自身持つのポテンシャル（感受性、知識、 観察力、判断）が大したことない、その場にいる人が充分な情報を 持っているわけでもない、ことを考えると、現実に直面しても、それ から得られる情報が充分機能しているとはいえないので、仮想の 世界の情報を重ね合わせることはものすごく効果のあることだと 思います。 そんなわけでモバイル（ＰＣベース）情報万歳だとあらためて思い ました。 買い物ひとつとっても、今や情報ナシでは結構普通にイマイチな ものを掴んでしまう可能性も大いにあるし、いいものを見落とす、 仕様が分からないでチャンスを逃す、などもあるから、常にモバ イル環境が手元に欲しいものですね。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-17T16:41:55Z</dc:date>
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    <title>【IYH】　ジャンクでBassアンプ</title>
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    <description>ジャンクといえば，不具合覚悟，修理して生き還らせるために破格で買える 至宝でしょうね． 入力ジャック破損で価格が10分の1，部品代100円で修理すればものすごく お得なものといえそうです．まぁ，保証云々の話はナシですが． 中古品，リサイクル品といっても， 0　訳あり新品や新古品 1　保証された中古品 2　年式相応の中古品 3　動作チェック済みのジャンク 4　不動品，不具合品のジャンク などがありますね．狙いどころはやはり3でしょうね．古いけどちょっと手を 入れることで復活させられる，しかも安い，まさに中古品の醍醐味でしょう． もちろん，技術，知識，情報，そして嗅覚が必要になるものではあります ので誰にでも勧められるものではありませんが，多少の賭けでも，勉強だ と思えるなら面白い選択だと思います． 中古品は多少の割り切りと中古品を楽しむというマニアごころがあれば， 楽しめますね． ところで，手に入れた品は， Fernandes 

 BASS AMP BLUE SONIC BS-15 家で小ぢんまりと練習するにはちょうどいいベース・アンプです．かわいい ものですよ，これは． まぁ，新品でお金掛けるなら， http://www.taurus-jp.com/polytone/mighty_brute.html なんか欲しいですけどね．ウォーム＆ファットな音が魅力です．</description>
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    <dc:date>2010-03-15T12:28:51Z</dc:date>
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    <title>悪いことを知る・考える</title>
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    <description>長年書いてみたかったテーマです。 聖人君子なら何の問題もありません。しかし残念なことに君子には なかなか成れるものではありませんね。そういう聖人のような人は 数多くいると思います。 まぁ、私は君子でも聖人でもありませんが。こういうごく普通であり、 欲はあるというタイプが、ちょっと目先のことにとらわれ、不充分な 知識と希望的観測から何かをやりかねないのです。 悪い情報から遠ざけておけば問題は起きない、確かに一理はあり ます。ただし、その運用は相当気を付けないとただの統制になって しまいます。それと万一悪いものにふれた場合でかつタガが外れた 場合には揺り返しが大きいかも知れません。 さて、土台として、判断力、分析力、道徳心などが充分にでき上って いる前提なのですが、その場合、悪いことを知っておく、あるいは 考えることも場合によっては必要なのかも知れません。もちろん、 決して悪用はしないという強固な意志を忘れてはいけませんが。 身を守る 悪い奴は強いのです。勧善懲悪の幻想など抱かない方がいいと 言えますね。理由は簡単でして、決まり、ルール、法律、道徳など の制限を受けないで行動するからです。要は何でもありの相手に 全うな善人が勝てるわけもありません。 さて、悪い奴は何も分かりやすく直接的な暴力に訴えてくるなど という単純なものではありませんね。一応は善人面しているので すし、豹変もせず、じわじわと正論めいたことで襲いかかってくる ことすらもあります。だからこそ、文句言われずに騙す、文句を 言われても理不尽に突っぱねるなどの方法があることは知って おくべきですし、実行しなくてもシミュレーションはしておく方が、 自分に降り掛かってきたときに対処する余裕が出ます。知識は いかなるものも身を守るのです。 損得勘定 悪いことに対する好奇心があったとしましょう。それが簡単にでき 大した効果もなく、しかもその代償が大きいことがわかれば、まぁ わざわざやることでもないと、思うようになるので、充分な知識で 知っておくことはいいと思っています。割に合わない、とか、バカ バカしい、と思えるのですね。 ただし、生半可な知識でしかも都合のいい解釈でしか理解できて いないとすると、かえって危険だと思いますね。根拠もなく大丈夫 から始まる転落、医学的にも心理学的にも示されているようです。 好奇心を消滅 損得勘定と同じですが、好奇心以上に価値がないと分かれば、 知っておくことはいいのかも知れません。実行する推進力がなく なる方向にはたらけばいいので。だからこそ、知っているだけで 留まっていられるのです。 如何でしょう。ただのシミュレーションとして知っておくことは必ず しも問題はないとも思います。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-14T23:58:44Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://myhome.cururu.jp/cyclone_840/blog/article/31002849544">
    <title>身軽に動ける荷物がイイ！</title>
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    <description>パッキングがうまくなると荷物が小さく、軽くなる。 荷物が小さく、軽くなれば、身軽になる。 身軽になれば、旅はもっと自由になる。 当たり前のことですが、荷物に縛られない旅はいいものですよ。 山登り、スキー、自転車など軽さがものを言う趣味だと嫌がおうにも 痛感するのですが、旅となるとうっかり大荷物になるものです。 でも、大荷物で動けないと楽しくない。 荷物すべて抱えて走れるくらいには抑えたいものですね。そうする には工夫が必要です。 例えばですが、私の場合、国際線であっても機内持ち込み可能な だけにしています。10日間くらいなら毎日着替えで洗濯ナシでも 持ち込み可能なスーツケースとビジネスＰＣバッグだけで行けます。 途中で洗濯しても荷物は減らしたいですね。 ※最近はセキュリティがうるさくなり、持ち込みが難しくなりましたね。 ロクでもない乱暴な扱いを受けるのと、空港での荷物待ちがどうも 好きにはなれないので、できる限り荷物を小さくすることに躍起に なったりしたものでした。他人のことにはとやかく言う気などありま せんが、「高級感のあるスーツケースっていいよね！」と言われた ときは、返事に困りましたね。かく言う私、確かに持っていません。 ちなみに、土産も殆ど買わないのでそれでも通用するのでしょう。 荷物に振り回されるより、行動力を手にした方が楽しいですよ。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-13T04:05:49Z</dc:date>
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    <title>ちょっと速い移動</title>
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    <description>自動車に限りません、あらゆる移動法について言えると思います。 徒歩も含めて。 少しだけ速い移動は楽だと思っています。 人間の視野角は結構広いようですが、真横など正確に認識できる わけもありません。話の簡単のため、真横までは識別できる、と 仮定しましょう。 流れより遅い場合 真横の人が針路を変えると脇にぶつかる可能性がある 斜め後ろの人にぶつかられる可能性がある 斜め後ろの人の進路を塞ぐ可能性がある 流れと同じ場合 真横の人が針路を変えても減速して回避できる可能性がある 斜め後ろの人に対して影響はないと言える 斜め前の人にも影響はないと言える 流れより速い場合 真横の人に対して影響はないと言える 真横の人からの影響はないと言える 斜め前の人の様子が分かり対処できる 何が言いたいかというと、速い場合、 自分より後ろは既に確認済みの過去のこと（パスしてきた） 次分の横は影響しない現在のこと（急に飛んでこない限り） 自分より前はこれから関係する未来のこと という、時間と相対位置と認識の関係が成り立つため、主として 前に注意を集中しておくことができる、ということでしょうか。まぁ、 パスした対象でも、速度が変わっていることはあるので注意は 大いに必要ですが、ゆっくりだと後ろへの注意がより多く必要に なるのではないかと思います。 ※上記は私見であり、決して絶対的な安全を謳っているものでは ありませんのでご了承下さい。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-11T23:48:14Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://myhome.cururu.jp/cyclone_840/blog/article/31002848773">
    <title>いじめ・意地悪</title>
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    <description>道徳はすばらしいものです。万人が道徳的であれば、どんなに 生きやすいか、効率的で生産的か、ほんとうにそう思います。 不要な争いなど、無駄の塊みたいなものです。争ったところで、 総量の変わらない有限のものごとが歪んで、偏っているに過ぎ ないものと思います。 さて、攻撃的で闘争的で猛々しくて残忍で残虐な人格の者は 確かにいます。いるのです。 脳科学、遺伝学的に、いじめをする因子が確かにあることが 分かったようです。困った人を見ると、気の毒であるという、 感情と同時に、快の感情をも抱き、しかも回を追うごとにその 感情は強化されるというのです。そういう頭の機能・構造の ようでした。おそらくは、道徳心に訴える教育しても、完全に 変えるのは極めて困難なのでしょうね。 いじめることが快なので、その機会を虎視眈々と狙い、付け 入る隙を見せたらあっと言う間に攻撃されるのです。 「いじめられる方にも原因がある」などと、自らの狭い了見で 正論ぶって考えていた人は大いに反省すべき研究結果だと 思います。 何しろいじめる側はそれが楽しいのです。いじめたいのです。 原因と言うより、きっかけがあれば、それを引き金に攻撃的な 行動を始めるのです。 そうかんがえると、 ○何でいじめられるのだろうと思い悩む必要はない ○それでもうまく付き合っていくべきと思い込む必要はない ○道徳心に訴えて改心を望むのはかなり困難である ○関係を絶つことに最大の努力をすべき と思います。もちろん、論理、道徳的にいじめ、意地悪などの 改善する努力を否定はしませんが、そうした努力、教育などが 功を奏するには、聞く者が、受容できる、理解できる、自らの 問題として考えられる、自らの感覚として違和感を抱かない、 などの脳機能が揃っていなければならないと考えると、いじめ、 意地悪、嫌がらせ、などの問題は、単純な教育、社会通念に 基づく自浄作用など期待できないので、もっと深刻に考える 必要があるといえますね。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-10T23:10:41Z</dc:date>
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    <title>論理的と科学的の不一致</title>
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    <description>論理的と科学的、一見、関連性があるようにも見受けられますね。 関連性はありますが、一致はしないし、互いに真であることはない のだと言えましょう。 論理的だけど科学的でないもの そんな考え方、あるのでしょうか？ 実はあるのです。悪意的な論破がいい例ですね。 悪徳な者が無理矢理にゴリ押しする時の屁理屈などでしょう。 そこまでではなくても、理解を示さない相手に対してまでも理解を 求めるような場合、論理のフォーマットと明瞭さを武器に正当性を 主張することになるでしょうね。 釈然としないけど、言い伏せられた、反論の理由が見つからない、 そんな感じを受けたとき、ロジックのマジックにだまされたと言って いいでしょうね。もちろん、本質的ではないから科学的では決して ないのです。 現象は時に多くの要素を含み、それらの要素は決して独立では なく、互いに影響がある、しかも直接的にはつながらなくても、 他の要素のトリガーとなるため、実は影響は大きい場合がある、 そしてそれらのバランス、組み合わせの上に成り立っている、と いうこともあるでしょうね。これを各要素に分解し、各要素の影響 について着目した場合、科学的であろうか？ 答えは、論理的解析ではあるけど、決して科学的とは言い切れ ない、と言えると思います。 こう考えると、論理的表現、論理的形式、要因の分解だけに躍起 になる相手の場合、その弁明のために非常に無駄なエネルギー を費やさざるを得ないと言えますね。 如何でしょう、論理性にばかり気を取られて、科学的であることを 忘れたりしないでしょうか？ 論理的に攻撃されても恐れることはありません。 自らの信念で正しいと思うなら、突破口は見えています。如何に 影響を受けず、如何に自らの可能性を潰されないか、これらが 大事だと思うのです。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <title>数学、役に立つよ！</title>
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    <description>ある予備校の広告にあった一節を、 「社会に出てから使うことはない数学だけど・・・」 そんな感じでした。 まぁ、使わないと思っていても受験では必須だからしっかり勉強 しましょう、という意なのでしょう。世間的にも、数学など使わない から、という言葉がまことしやかに言われているので、その考えに 呼応した宣伝文句なのだろうと思います。 数学は現象を示す言語であるし、考え方発想法でもあると思い ます。数式を直接使うことだけが数学ではないでしょうね。 変化と予測をする、既に微積分の考えを使っていますよ。 形を考えバランスを取る、既に幾何学の考えを使っていますよ。 運動を考える、既に微分方程式の考えを使っていますよ。 挙げればきりがないわけですが、考え方や発想法を知っておく だけでも、 怪しげな数値やグラフをむやみに信じたり 意味のない数字で話を無理矢理押し通したり 現在だけの状態で判断して右往左往したり 刹那的に意志決定をしても効果を生まなかったり なんてことがなくなるので、数学は決して生活からかけ離れた ものではないと思います。 ※税金の累進課税 四則演算だけで出せるようにしたものですが、どうしても段が できてしまい、年収○円以下に抑えようなどという非生産的な 発想が少なからず横行するのだと言えましょう。 全員が指数関数や高次関数を知っているだけでシームレスな 累進課税が実現できるので、稼いだ分だけ手元に残るお金が 増えるようになると思うのです。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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  <item rdf:about="http://myhome.cururu.jp/cyclone_840/blog/article/31002847542">
    <title>ライト選びの極意？？？</title>
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    <description>世の中にはライトマニアという人種がいます．もう少し分けると， ライトそのものをこよなく愛する人 ライトの台座として自転車を使う人 走るための道具としてライトを使う人 私は？？？やはり，3でしょうね．多少2の気も・・・，いやいやそんな事は． それぞれ求める性能が違います．自転車好き＋あまりお金掛けたくない， という考え方で言うと，以下の観点があるなぁと思っています． ○電池の種類 できる限り汎用型がいいと思っています．単3か単4でいきたいところです． CR123Aは正直避けたいところです．クソ高いし，どこでも手に入るわけでは ないですから．ただ，この形をした充電式もでてきたので光明が現れたの ですが，長時間利用の発熱など問題のあるものもありますので注意が必要 だと思います． リチウムイオン電池も充電式ではありますが，うっかり放電しきってしまうと， 出先のコンビニで買うことはできないですから注意が必要です．そう考えると 単3×2本型はいいですね～．たいていアルカリでもニッケル水素でも使える わけですし．まぁ単4×3でもいいのですが． ○回路の種類 電流制限，昇圧機能付き，電圧制限，など色々とあります．LEDの基本は， 電流制限ですが，3.6V以上の電圧を掛ける必要があるため，電池2本では 昇圧が必要となります． 単なる電流制限の場合，電圧が落ちてくるとLEDに充分な電圧が掛けられ なくなり，だんだんと暗くなります．電池3～4本式に多いですね．ニッケル 水素電池などで使うとランタイムが短くなるのはこのためです．（結果として 過放電を防ぐことはできますが．） 昇圧回路があると，電圧が落ちてきても電流を流す力があれば，あまり暗く なることはありません．本当に落ちてくると細かく点滅を始めます． 安いものは稀に抵抗だけで電圧調整しているものがあり，注意が必要です． ○明るさと配光 中心スポットが明るいだけでは不充分と思っています．周辺光との差が急で 大きくてもやはり見づらいと思います．スポット自体がややワイドで，しかも 周辺に向かってダラッと明るさを落としていく配光が必要ではないでしょうか． ちなみにちょっとやそっとで明るすぎるなんてことはないと思っていいと思い ます．私の場合，歩行者への眩しさの配慮と，横からの被視認性を上げる ために，半透明の庇をつけていますが，神経質なまで上方を遮光し過ぎると 意味がなくなるのでそこそこの遮光にしておくべきと思っています． 特に対クルマの場合，LEDライトごときでクルマがまぶしいと感じることなど ないと言っていいと思いますよ．クルマを運転していて，この自転車のライト 眩しいな，と感じたことはありません． ○連装の必要性 自転車用の一般的なLEDライトは配光はよいにしても，概して光量不足の 傾向にあると思います．また，懐中電灯はランタイムが短いものがあるのと， 横方向への光の漏れがないことが問題だったりします． 私の場合ですが，以下のような組み合わせを考えますね． -強力な懐中電灯の場合 それなりの懐中電灯と自転車用フラッシャを組み合わせるか，それなりの 性能の切り替え機能を持った自転車用ライトを組み合わせます． -自転車用ライトの場合 多燈化しますね．真っ暗のところ走るなら，1W(40lm)クラスなら最低二つは いりますよ，と私は思っています． -山の中（オフロード）を走る場合 3W（80～120lm）で2燈あるとかなり心強いですね．1W(40lm)クラスを4燈 でもワイドに照らすと結構いいなと思いますよ．それですら，これくらいでは 飛ばせませんが． なお，ハロゲン2燈というのも悪くないですね．ただ，恐っろしくランタイムが 悪いので，真っ暗の山中で使うのは不安がいっぱいですが． ○固定具 自転車用ですら，剛性が足りなかったりしてライトが震えるものもあるくらい ですから，LED懐中電灯の取り付けは困難を極めます．着脱式がいいのか 完全固定がいいのか，実に難しいところです． -自転車用ライト ゴムベルト式だったりすると締結力不足で，振動が加わると簡単にお辞儀 してしまったりするものもありますし，強度不足のものは付け根からもげたり する製品もあります．MTBで山遊びすると，振動でいろいろ起こります． -自転車用マウント これこそ玉石混交ですね．自転車用品メーカー以外が造ったものの中には あまりに脆いものがあるのは確かです．見るからに・・・，であればいいの ですが，一見しっかりしているものもありますので．懐中電灯が概して重い ので，保持力がモノを言うわけですが，なかなか難しいものがありますね． -流用マウント メーカーからすれば面白くないですが，補修パーツを利用すると懐中電灯を しっかりと保持できることも間違いないので，うまくいけばラッキーですね． あるいは，ボトルホルダーやフレームポンプホルダー用のホルダーを流用 するのも方法です． -自作マウント これはもう，工夫と工作能力と所有工具次第ですね．フライス盤があれば， あれもこれもできるのになぁなんて思っています．いつかは欲しいものです． それはさておき，金具，樹脂部品，既存マウント部品などを組み合わせて 穴あけをするなどするだけでもそれなりのもの，頑丈なものが組めたりは するのですが，見た目のいいものに仕上げるのはなかなか大変です． とにかく難しいですね．ゆるいホルダーだと角度が変わるだけでなく，下手 すると落ちます．落ちたときスポークにでもライトが絡まると走行不能にまで 陥るので本当に注意が必要です． こうしたことからもLED懐中電灯を取り付けるのはかなり考えなければなら ないのですが，うまくいけば専用品よりも明るいものを安く取り付けられる こともあるので，考えどころです．</description>
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    <dc:date>2010-03-07T09:06:47Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://myhome.cururu.jp/cyclone_840/blog/article/31002847525">
    <title>ライトマニアに成る理由</title>
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    <description>タイトルに反して，何と過激な書き方をしているものだ・・・と思いますが． この国の民度，少なくとも自転車に関するものはひどいものだ，という， そういった危機感は一般的ではないようです． 先日  「自転車事故の発生率が世界でもワースト1なのは日本で ある」 と，周囲に話したところで，誰も認めようとせず，挙句の果てには， 「そんな馬鹿なことはない，中国のほうがよっぽどひどいだろう，統計を 見間違えたのではないか？」 とのお言葉が・・・．そこらを普通に観察すれば，およそ大脳皮質を持った 人間とは思えない乗り方をしている人をいくらでも見掛けるということなど まるで頭にないようです． それどころか，私が大げさに言っているだけだと思っているのでしょう． 確かに統計の取り方については，基準がハッキリしませんが，問題は， 統計云々などどうでもよく，それだけ危ない自転車が多い，恥ずべき国 なのである，ということなのです． まぁ，私のごく身近な人間が自転車によって廃人にさせられかけた，と いうこともあり 私の鼻息が荒い ことは認めますが，それを差し引いても 自転車の持つ危険性に対する意識の低さは凄まじいものだと思います． ちなみにこの方々，普通にクルマの免許を持ち，運転をする人です． 危険運転をする自転車を轢いて罪に問われることの無いよう願うばかり です． たかが自転車，殺傷能力はないだろう，という意識が未だにないのかも しれません．あるいはそんな危ない運転をしないだろうというおめでたい 感性の持ち主なのかもしれませんね． ところで，カースタントの中でも人間が振り落とされる類のものの速度は 想像以上に遅いのです．世に言う自転車並みの速度以下だといわれて います．それをカメラワークで迫力を出しているわけですね． つまり，プロのスタントマンでさえも体が飛ぶような状態において自転車 の速度では危険がある，ということだと言えるわけです． しかしまぁ，以下のようなやり取りを見ていると， (hは抜いています．)ttp://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0918/263643.htm 猛烈なものですね．掲示板なんてそんなものだといえばそうですが・・・． さてさて，本題にいきましょう． 交通問題は普遍性がなかなか見付けられない問題 だと思います． ■法やルールは熟知しておく（道具として） ■基本道徳は持っておいて当然 ■怒りなどの感情には影響されない しかしこうした原則論，奇麗事を言ったところで意識のないものは居る ので，もっと現実的にいく必要があるでしょうね． ■危険なものが居ることは当然であること ■判断能力がない程の危険を躊躇いもなく行う者が居ること ■法や仕組みの不備でこちらが悪者にされる危険は大いにあること ■立証できないときや相手の悪知恵が長けた場合の危険は高まること など，正直者，善人ほど，何故なのか罪人になり失うものは計り知れ ないという，世の，法の理不尽があるわけですね． ■他人への過剰な期待は間違ってもしてはいけない ■自らの意識と技術を高めておくべき ■いい道具を持っておくべき というところで防衛するしかないのです．ドライブレコーダのようなものを 常に持ち歩けばそれでもいいのですが，自分が死んでから相手の非が 立証されても何の意味もありませんから． では身近なケースで考えましょう． 【自らが徒歩】 交通弱者ですが，危険は大きいですね．いかなる移動体も敵である， 位の意識で丁度良いかも知れません． ▲クルマに対して退避 できないところは歩かないか素早く通り過ぎる ▲アクセルとブレーキを踏み間違えるアホが居ると思っておく ▲轢いても構わないと思っている勢いの者すらいると警戒しておく ▲徒歩でも後方確認（一見アホに思えるがかなり有効） ▲歩道の自転車は基本敵だと思ってよい ▲車道から飛び込む自転車は猛烈に危険，気を抜いてはいけない ▲自らのステルス性を省みる（クルマからはかなり見えない） 【自らがクルマや単車】 言うまでもなく，何かあったら責任をなすりつけられる立場であること を理解しておく必要がありますね． ▲相手は道交法などカケラも分かっていないと思っておく ▲自ら（クルマ）の動きは鈍重であると認識し，自らを基準にしない ▲自ら（自身）の操作も鈍重であることを認識しておく ▲相対的に，相手（特に自転車）は高速で素早い乗り物と知っておく ▲ライトの照射範囲が思った以上に狭い ▲密閉性，居住性を上げたクルマは危機感が下がる（と思われる） 【自らが自転車】 法や仕組みの狭間で不利でもあり，かつ自らの無知が思わぬ危険を 招くということも知っておく必要があるでしょうね． ▲自転車の敵は自転車であると思うべき ▲自動車は自転車の運動性能を理解していないことを理解する ▲自動車の死角は恐ろしく大きく，周りには無頓着と知っておくべき ▲自らの運動性能を駆使して回避は特にすべき ▲表示機能がない分，手による意思表示は意識すべき ▲法の不備でグレーも多いが自らの無知を疑っておく必要がある ▲自転車の殺傷能力は高いことを知っておくべき ▲速度の割に制動性能（特に安定性）が劣ることを知っておくべき などと考えているわけですが，自転車の敵は自転車である，という のが気になるところです． で本旨に戻りますが，何故，私がライトマニアになったのか？？？ それは自転車を安全に，もっと言えば防衛的に乗りたいという意思が あるからなのです． ○単に路面照射，存在の表示だけでは不充分 ○思わぬところで横断する歩行者を照らし出す ○逆走無灯火の自転車を照らし出す ○クルマに見落とされないだけの強い存在感 が実現できるだけの強力なライトが欲しいと思ったのがあります．</description>
    <dc:creator>cyclone_840</dc:creator>
    <dc:date>2010-03-07T08:36:51Z</dc:date>
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    <title>乗り物は遅いほうが安全か？？？</title>
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    <description>速く走れる乗り物は危ない ，そんなイメージはあるかも知れませんね． しかし， 本当にそうなのか？ ，を書いてみたくなりました． 住んでいたところの関係から，幹線道路（山手通り）や，首都高速4号線を 免許取得後すぐに使い始めていた（そうせざるを得ない）ということを踏まえ 書いてみたいと思います．特に首都高について，でしょうかね． 上がり口は，中央道に向かうなら初台，都心環状に向かうなら新宿，稀に 外苑，ということになります．大体こんな感じのところです． (hは抜きますよ)ttp://www.mapion.co.jp/m/35.6787102777778_139.698351666667_8/ 怖さを知る前に乗ってしまったものだから気にはならないのですが，よく 考えたらこれらは，初心者にはちょっと敷居の高い入り口かなと思います． 初台；　右車線側へ左合流，本線は新宿のきついカーブを抜けてストレート 　になり，速度は乗っている． 新宿；　恐ろしく短い加速車線，本線は直前のきついカーブで車間が詰まり 　団子になっているがそれほど速度は落ちていない． 外苑；　合流する途中でトンネルに進入，本線はその直前で長い下りがあり 　速度はしっかり乗っている，しかもトンネルを出るとややきつい右カーブの 　ため，前は詰まり気味になる． 外苑はともかくとして，新宿などは2速で引っ張るような加速をしながら飛び 込むように合流するが，そこそこ速度が乗っているので，本線のクルマの 後ろに滑り込ませるような入り方するしかない，といった感じのところです． この頃は今よりももっとパワーのないクルマに乗っていたので，合流ひとつ とってもなかなか大変だ，なんて思っていたものです． パワーのないクルマにとっては，一度失速したら終わりで，新宿などは万一 加速車線の先端で止まったりして流れが途切れるのを待っても，その直前 にある見通しの悪いカーブまでの距離が短いため，安全なゼロスタートは ほぼ不可能と言えるため，相当な注意が必要なところです．それこそ料金所 から全力で加速して本線を見ながら一発でタイミングを合わせなければいけ ない，というナカナカの難所なわけですね． （ここが基準になってしまったため，クセが付いたため，合流や車線変更は かなり元気よく飛び込むようになってしまいました．ご存知のとおり決して パワーのあるクルマではありませんので，必死でしたよ．） パワーがあるクルマであれば，タイミングが合わず，加速車線途中減速して しまっても再加速は難なくできるわけですね．それだけでもパワーのありが たみはあると言えそうです． まぁ，パワーがあれば多少の目論見が甘くても，それを簡単に補ってくれる わけで，結果としては安全側である ことは間違いありません．</description>
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    <dc:date>2010-03-07T08:35:52Z</dc:date>
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    <title>論理的が本当に正しいのか？</title>
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    <description>理屈こね回している私が言うのも変ですが、論理的である、という ことを改めて考えていきたいと思います。 正確には、論理的会話に限定してみましょうか。 誰でも分かる共通言語としての論理的会話、認識を共にして理解 する上では基本となるものと言えましょう。説得力を得るにはこの 論理的話法を身に付けた方がいいのは言うまでもありません。 ですが、この話法を遂行していくには、 ○状況設定を固く行う ○要因を分解し単要素を扱う ○シリアルで不可逆な議事進行する 要はかなり限られた話をせざる得ないことになります。引き出そう という意識と充分な時間さえあれば網羅的、多角的に議論できる のですが、現実には、上の三つの条件に制約されながら、論理的 だと称する手続きが踏まれます。 うっかり、異質の要素を入れようものなら、「いま、○○について 考えているから、それは除外しておきます」だとか、異なる状況を 挙げて見直そうとすれば、「設定した条件から外れるので、もとの 条件で考えます」などと言ったお咎めがあります。「条件が混ざる ことで原因が分からなくなる」という常套句もありますね。「それは 先ほど議論しました」「それはすでに決めてあることです」などと いうのもありますね。 こうしたことは、現実社会でもネットでもよくある論法なのです。 勿論、まちがいではありません。論理の体を成しています。 詰まるところ、 ○問題提起しました、仮説を述べました、広く意見を聴取しました、 議論しました、論破できたました、仮説は正しかったことが分かり ました、というストーリー ○問題提起しました、意見を広く聴取しました、議論しました、結論 に至りました、「総意として確認、共有しました」、というストーリー にまとめられるのであり、議論と言いつつも、新しいものの発見、 創造、あるいは、視点を変えた再評価などは望まれておらず、暗に 議論を行ったという既成事実と予め考えられていた結論まで揺る がない議事進行により収束したという形式の為に、論理的という 体裁が用いられるのも事実だと思われます。 ただし、科学的であることは大事で、冷静に多角的に考え、議論を 通じて新しい考え方や方法、事実を発見することができ、その議論 のためのツールとして論理的思考、論理的表現は有効になるのだ と思われます。 論理的という形式だけが独り歩きすると、単に傲慢で融通が利かず 排他的かつ敵対的な状態が作られてしまうのだと思います。それと 俯瞰的、鳥瞰的に見極めた上での言葉が封じられてしまうため、 論理的解釈が必ずしも思考法として本当に効率的なのか、正しい のか、疑問は残りますね。 各要素が互いに独立であるわけもなく、むしろ、多変量空間的に 複数の要素（因子）を見ていく方がより現実に即していますね。 また、支配的と称して少ないパラメータにだけ目を向けてしまうと 一見影響の少なそうな因子が他の因子のキーストーンとなって いて、実は大事な要素になっていることもあると思います。 言葉はシリアル通信的で、複数の要素を同時に伝えられないので、 時間軸でずらして伝えるしかないため、いろいろ不便があるのだと いうことを理解しておかないと、論理的だから絶対に正しいという 問題が発生するのだと思います。論理を振りかざすと大変傲慢 なのと言われた方は一瞬、何故か不利と思い込まされるのです。 だから正しそうだが腑に落ちないことがあるのだと思います。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
    <dc:creator>cyclone_840</dc:creator>
    <dc:date>2010-03-07T02:17:57Z</dc:date>
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    <title>パワーや性能って助けになるのではないか？</title>
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    <description>こだわりないから、初心者だから、そんなにあっても・・・、など、 いろいろと謙虚なことばがあるなぁと感じます。そう考えると、 私など強欲もいいところだなぁと思います。 ただケチではあるため、コストパフォーマンスを考えるのと、 理系の端くれなので、効果の極めて薄いことを精神論的に 取り組むことはしない、ので自ずとグレードは決まってきて しまうのです。 さて、はじめにパワー、身近なものでパワーを感じるものは、 自動車、オートバイでしょうね。 自動車のウェイトパワーレシオを考えると充分すぎる、という ほどではないと思います。 二輪の場合はウィリーやホイールスピンをするくらいであれば まず充分なのでしょう。（そこまで単純ではないですけどね） さて、ある程度パワーがあるクルマに魅力がある、理由として、 絶対的な速さだけではなく、「楽であること」「安全であること」 「条件によっては燃料消費も抑えられること」があると思います。 パワーのあるクルマって、イメージ的には暴れ馬をねじ伏せて いるような感じでしょうかね。だから敬遠すると。 「楽であること」；要は工夫をしなくても思った通りに走れるので 運転が簡単なのです。3.5L以上ってものすごく楽ですよ。 「安全であること」；ぶっ飛ばすことが安全とは言えませんが、 それだけの性能があるのは安全です。減速しか方法がない、 加速も選択できる、の違いですね。 身近な例で言えば、首都高は充分な加速力を持ったクルマの 方が圧倒的に安全です。 「条件によっては燃料消費も抑えられること」；意外にもパワー のないクルマの燃費が思ったほど感じることはないですか？ コース、エアコンなどの影響、いろいろあります。パワーない なりに、なお、何もかも抑え気味にという選択はナシです。 電気製品も充分なパワーがあることで扱いやすくなりますね。 手早く吸い込む力を持った掃除機、さっさと冷やせる冷蔵庫 エアコン、充分な流量を持った湯沸かし器など、手早くできる ことでかえって効率よく運用できるものは多く、電動工具など 充分なパワーがある方がある意味安全であることもあります。 パソコンなど初心者こそ、処理能力がしっかりしていて、わけ 分からないことが起きないようにしておくことが重要かと思い ます。遅くて怪しいマシンをだましだまし使うのは荷は重いと 言えそうですね。 如何でしょう。 予算の許す限り、臆さずいいものを使うことが幸せかも知れ ません。 まぁ、マニアになると敢えて対したこともないモノを絞り出す ように使うことに面白味を感じることもありますが。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-06T15:38:39Z</dc:date>
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    <title>何年ぶりだろうか、ボーリングなどやってみた。</title>
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    <description>数年間やっていなかったボーリング。スコアは１ゲーム目は91、 2ゲーム目は126、とまぁ何も自慢できるものはありませんねぇ。 指太いというより関節太いのも手伝って、指が穴から抜けない 恐怖があります。そうなると選べる球は14か15ポンドとなり、 それでも第一関節が若干抜けなさそうで怖いものがあります。 それに球が重いので、お手本通り、高く球を振り上げ、振り子 のように腕を振り、手首を返して回転を掛けて投射、なんて 芸当は到底できません。 コントロールの悪さは初速を稼いで破壊力を上げてカバーだ と思った私、助走速度を上げ、大して手も振り上げず、球から 手を離すだけ、というまるで水平爆撃のようなことをするしか なかったのです。 つまりは投げた瞬間に成功か失敗が分かるので、だめだこりゃ と思うとすぐに振り返って戻りたくなったのですが、その様子が 周りから見るとあきらめが早すぎるようで面白かったようです。 久しぶりでした。ホント最近、普通の遊びをしていなかったなぁ などと思いますね。 ----------------- sent from W-ZERO3</description>
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    <dc:date>2010-03-03T23:25:04Z</dc:date>
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