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ブログさんは和服が大好きなんだけど、着る人が少なくなってきてとっても残念。
みんなのこれだけは廃れないでほしいと思う伝統や文化って何かな?
日本人が、自国の文化に無関心になり始めたのはいつ頃からだったでしょう。
明治維新からだったのか、敗戦からだったのか。―――おそらく両方なのでしょう。
300年の徳川政権下の日本と云う物を、諸手をあげて肯定したいとは思いませんが、その閉じた時代に醸造された精神文化の形、また独自に深められた文化を否定する気持ちは欠片も有りません。
ただ、「閉ざされていた」という事実がコンプレックスとなり、近代国家に成らんという焦りが、明治の日本を背伸びした西洋志向に駆り立てたのはあまり褒められた事ではありません。自国の文化を誇れる、自信を持った態度で諸外国の文化を眺めるゆとりが欲しかったですね。この洋物志向が、廃仏毀釈等の極端な動きを生み出しました。近代国家に生まれ変わる大きな動きの中で、まず自らの精神風土を強固にする、と言う地盤作りを疎かにしたまま、闇雲に新奇なものを摂取しようとする意識だけが、日本人に定着してしまった。
それでもまだ、明治の上向きな精神は健全なもので、明治・大正の文化は舶来を上手く取り込んでいた節も見受けられます。この和洋の蜜月を味気無く踏みにじった、
第二の鎖国とも言うべき第二次大戦、
そして敗戦。
負けのこんだ集団に特有の、「敗因を総て誤りで有ると考え、丸ごと捨て去ろうとする意識」は例えば近年の共産主義の崩壊時等にも見られました。共産主義の理念そのものまで否定するような動きですね。敗戦国・日本の場合、軍国主義=精神主義を悪と決め付けて投げ捨てる時に、精神性そのものを、ダメなものとして位置づけてしまった訳です。戦後の物欲主義の隆盛は、ここに原因が有ります。
その結果、300年に渡って独自の文化を築きあげた日本人は、欧米から過去の文化を賞賛されながら、オリジナリティの無いエコノミックアニマルと称されるに至ります。(団塊の世代と交流していて感じるのは、その根底に付かず離れず見え隠れする、精神性への冷笑と唯物論的な現実主義です。)
世紀末の文化的退廃は、精神文化への無関心を強め、今や日本人は、文化的に瀕死の状況に有ると言えましょう。古典的な教養、過去に産み出された黄金の遺産への感心の薄さは、その文化的な高さを知る外国人に驚かれる程です。彼らの崇敬する素晴らしい芸術の数々を、日本人は語る事が出来ないんですから。そしてまた、その事に対する危機感は極めて薄いと言わざるを得ません。
人間は、その拠って来る精神文化無しには民族として成立できません。精神的な喪失は肉体にすら影響を及ぼします。ネイティブアメリカン( アメリカインディアン )は、侵略してきた白人達に殺戮され、その精神文化を蹂躙された人々ですが、現代のネイティブアメリカンの平均寿命は50歳前後だそうです。自らが精神的な支柱にすべき精神文化を失った、その結果と考えると恐ろしい気がします。
日本でも昨今、突然死等が散見されるようになりましたが、心のゆとりを欠き、精神的支柱である自らの文化を失いつつある所為かもしれないと考えずにはいられません。
新しいものを、ただ知識として仕入れて、陳列しておくだけでは教養は形成されません。ましてやその知識を求める好奇心そのものが鈍磨してしまっては、豊かな精神風土は築けません。
「 古いから 」等と言う、迷信めいた固定観念で、過去の文化遺産を遠ざけるのではなく、温故知新の言葉も有る訳ですから、より広範な領域から恩恵を受けて日本文化を吸収し、今の自分を考える事も大切な気がします。
身の回りに普通に転がっているものだけで世界を測るのは無謀だと思えてなりません。
現代の戦争に就いて書かれた「 物語 」で、戦争に直接参加した事の無い国の人間に取って、これ程痛切な作品は無いでしょう。
児童文学やファンタジーを「 子供騙し 」と認識している割合が、驚く程多い日本に於いては、おそらくベストセラー等には成り得ない作品でしょう。尤も映画化されて「 これを褒めても他人に笑われないかな? 」と云うラベルが貼られれば話は別でしょうが。
作者はロバート・ウェストール。現代の児童文学の実力派と云って良い方でしたが、'93年に亡くなられています。「 海辺の王国 」「 か か し 」「 "機関銃要塞"の少年たち 」と云った傑作を生み出しました。
「 弟の戦争 」で描かれる戦争は、
【 湾岸戦争 】です。しかしイラクでの戦闘等が、作中に直截登場する事は有りません。物語の舞台はイギリスです。とある一家の物語です。主人公と弟、父母の4人家族。戦火から遥か離れたイギリスで、しかし一家は戦争を体験するのです。
【 弟の戦争 】を。
主人公の弟は、不思議な力を持っていました。他者に対する感応力とでも言うのでしょうか。小動物等に対する労わりや優しさを持った弟。遠く離れたアフリカの呪い師と、何故か通じ合って手紙を遣り取りしてしまう弟。この、繊細な翳の宿る弟が、イラクの少年兵と共鳴してしまう。彼の心は、少年兵の恐れ、悲しみ、緊張をリアルタイムで感じてしまう。
いや、まさに彼は少年兵と一体になって、戦争を目の当りにしてしまう。家族は当惑します。常軌を逸してしまったようにしか見えない。[ 同一化 ]は進行し、弟は室内にバリケードを築き始める。家族はイギリスに居ながらにして、空爆に脅えるイラクの少年兵を見詰める事になります。その脅える少年兵は、自分の肉親でも有るのです。
戦争に直接参加しない立場の人間が、今 正に行われている【 戦争 】に就いて考える時、これ程 優れた設定は、そうそう有りません。「 反戦 」や「 自然保護 」が芸術のテーマとして成立しないのは言うまでも有りません。( いちいち作品化するまでも無い位、あったり前の事ですからね。 )この作品の主題も当然違う所に有ります。
日常に有っては異質と見られる、儚く透明な「 資質 」。この繊細なものが、嫌になる様な現実に拠って押し潰されて行く悲劇こそが、この作品の最も悲痛な部分でしょう。その「 資質 」が何なのかは、受け手がそれぞれに考えて、最もしっくり来るものに当て嵌めてみるべきでしょう。
弟の( 世間的には )奇行は、強い空爆が有った日を境に収まります。
周囲はこれを喜びます。しかし兄である主人公だけは、弟の不思議な翳が失われた事を哀しみます。弟には以前のあの力が無くなってしまっているのです。
殆ど誰にも顧みられる事無く、消えて行った繊細なもの。それは世間的な誉れにも、社会的なステイタスにも縁の無い、しかし人間の美しさの結晶の様に尊いもの。
【 戦争 】に象徴される、余裕も何も無い巨大な【 現実 】と云う鈍重な怪物は、何を蹂躙し封殺して前進しているのか。物質文明の欲と虚栄と利己主義は、何を餌食にして肥大して行くのか。
人に顧みられる犠牲以上に、「透明なものの死 」は哀切です。
自然に於いても、文化に於いても、失われ行く美質は、常に声の小さい透明なものなのです。
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