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カルト化教会した教会脱会後のリハビリ,回復、そして成長へ。
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2005年12月06日開設
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自分で考える

共に通過してくださる方 | 自分で考える 2008/11/27 00:03
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002469481

カルト化教会所属時代の出来事を振り返る時、私の経験した事は、ある人にとっては、想像を絶する事であり、「ありえない」出来事だと言えるでしょう。

 

また、私が物心ついたときから、虐待をされて、機能不全家族によって充分な愛情を感じる事がないまま成長した事も、そして、カルト2世として成長した事も、ある人にとっては「ありえない」ことでしょう。

 

でも、どんなに、それが「ありえない」と思えるほどの出来事であったとしても、私は、そういう環境で育ち、生活をしてきました。その環境は、私にとっては「ありえない」ことではなく、むしろ「当たり前」の出来事であり、私にとっては「日常の普通の出来事」だったのです。

 

今の私にとって、「子どもの頃が良かった」という発言は理解できませんし、

「家族と一緒だとほっとする」という発言も、理解できません。

何故なら、私にとって、家庭とは恐ろしい場所であり、いつ、暴力を振るわれるか分らない場所であり、言葉によってめちゃくちゃに傷つけられる場所であったからです。

 

私にとって、家庭とは、危険がつきまとっていて、気が抜けない場所でした。

そこで育った私には、それが「日常の当たり前の出来事」でした。

 

子どもの時、学校の先生にも家庭での悩みを相談した事もありましたし、教会に行ったときにも相談をしました。でも、養護施設で保護してもらう事ができると教えてくれた大人はありませんでした。

 

私にとって、カルト化教会での共同生活は、家庭よりも安全な場所でした。

信仰という名の虐待はありましたが、家庭で経験したような暴力を受けたり、日々、存在そのものを否定されるほどの言葉を絶えず浴びせられる事がなかったからです。

 

私にとって、このような生活が「当たり前」でした。

そして、ある人が、心から「私は親に愛され、いろいろな人から愛されてきました」と語るのを聞くときに、自分の過ごしてきた環境と、その方の経験した環境があまりにも違うので、それを比較すると、惨めな気持ちになりました。

 

でも、誰も、親を選んで生まれる事はできず、

気がついたら、私はその家庭にいたのです。

 

どうして、ある人は恵まれた環境に生まれたのか、

どうして、私は虐待される環境に生まれたのか、

 

それは、どんなに考えたって、答えがでない質問だと思います。

 

恵まれた環境で育った方にとっては、私の経験は「ありえない事」「あってはならない事」であったとしても、家庭での虐待も、カルト2世としての事実も、カルト化教会で仕えた事も、私にとって事実であり、実際に起こったことであり、私は、その環境において、自分で、できる限りの誠実を尽くしたし、頑張りぬいたし、虐待者を許してきたし、自分なりに精一杯生きてきたのです。

 

カルト化教会で教え込まれた内容は、聖書が教えている事とは違ったけれど、

そして、カルト化教会の中で、自分で選択したと思っている出来事も、実は操作の中での出来事であり、他の選択肢がないようにされていたのだけど、

 

でも、自分の心を見るときに、

私は、当時、必死で考えて選択したし、心から祈って、心から聖書を読んで、何が神の御心かを求め、自分なりに、最善と考えられる選択をしてきました。

 

カルト化教会に所属するようになったとき、

私は、静かに神様を礼拝できる場所を求めていました。

 

また、カルト化教会に所属した時に、「教会に与えられたビジョンリスト」を見たときに、

「心の傷ついた人の避難場所となる教会」としてのビジョンがあって、私も、そのような働きの一部として、教会に加わりたいと願った動機は純粋でした。

 

脱会してから、操作された事、人格を否定されていた事、自分の夢を壊されたこと、自分自身のアイデンティティーを破壊されていた事、利用されていた事、馬鹿にされていたこと、虐待されていた事に気がついて呆然としたり、心が痛くなることもあるけど、

 

私なりに真剣に歩んできた道のりに、神様は共に通過してくださっていたと考える事も出来ると思います。

 

カルト化教会所属時代、本当に食べ物がなくなったときに、突然、食料が入った荷物が届けられたり、牧師の命令でミニストリーに急遽出かけた為に仕事を失った時にも、素晴らしいタイミングで次のバイト先が与えられたり、さまざまな危機において、「神様の奇跡」といえるような経験をしてきたことも事実です。

 

それを「単なる偶然の積み重ね」という事もできるかもしれないけど、

私は、「神様が支えてくださっていた」と考えています。

 

どうして、神様とつぶやきたくなるような過去だけど、

それでも、毎日、神様は共にいてくださったのだと信じています。

そして、それでも、神様は共に通過してくださり、私の涙を覚えておられると信じます。

 

「ありえない」経験の中でも、神様は共に通過してくださって、

「ありえない」経験の中でも、神様は、そっと宝を隠しておられて、

「ありえない」経験の中でも、神様は、私を訓練してくださって、それを、価値あることを学ぶ機会としてくださったと思います。

 

私の人生は、誰の人生とも比較できないし、比較しても意味がありません。

そして、痛みに満ちた人生を、私は通過しました。その痛み、嘆き、苦しみ、恐怖、孤独、そういう気持ちは私自身が確かに味わってきました。その苦しみの中で、自分なりに精一杯、神に喜ばれる選択をしたいと願い、自分なりに精一杯生きてきました。

 

だから、誰かが私の人生を見るときに

「あなたは、神様ではなく、牧師を教祖にして従ってきた」と評価しても、

結果的に、そのようになったとしても、

私は、それぞれの瞬間において、自分のできる限りの知識を用いて、

精一杯、最善と考えられる道を選んだのだという事ができます。

 

マインドコントロールをされていた、

騙されていた、操作されていた、人格を破壊された、虐待されていた、馬鹿にされた

 

それは事実です。

 

だからといって、自分なりに精一杯生きてきたことさえも、否定する必要はないと思います。

 

自分の人生を振り返って、自分の動機を探って、マインドコントロールの事実、虐待の事実も直視して、それらを考えて、考えて、考えて、

 

向き合って、心の痛みを見つめて、それを認めて、

きっと、きっと、乗り越える事ができるだろうし、きっときっと、自分の過去をありのまま受け入れる事もできるようになるのだと思います。

 

人生の一歩一歩において、

キリストの似姿となるように、主は、共に通過してくださり、

訓練してくださり、励ましてくださり、私の恥をも、失敗をも、他者を生かすための益としてくださるという希望を持てることは、素晴らしい恵みだと思います。

 

共に通過してくださる神様がおられるからこそ、希望があるのです。

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