喘息の発作が起こると、私はとても不安になります。
子どもの頃、私は頻繁に発作を出していて、しかも、発作が起こるたびに、母から酷く怒られました。「わずらわしい」「うっとうしい」そういう怒りを浴びせられ、喘息で苦しみながら、精神的にも追い詰められました。
そして、腹を立てている母親は、喘息の私の不安を激しくあおりました。
そして、「コアラが喘息なのは、神様からの罰が当たっているのよ。いつも、いつも、ろくでもないことばかりしているからよ!!! コアラはろくでもない子どもだから、また、今晩も喘息がでるわよ」
不安をあおられ、私の喘息の発作は、私が悪い子どもだから神さまが罰を当てているのだ、
そして、今晩も、喘息で苦しむだろうという「予言」のような言葉を吐かれ、私はますます不安になりました。そして、やはり、夜は発作で苦しみました。
でも、不思議なのは、
私は子どもながら「神様」という存在は信じていました。
それが、どういう方なのか知りませんでしたが、「喘息の発作は神様からの罰」とは思っていませんでした。むしろ、「神様は何でも知っておられる」と信じていたから、「神様は、私が母からひどい仕打ちを受けていることも知っていてくださる。そして、私はろくでもない悪い子と母は言うけれど、たとえそれが事実であったとしても、私の心の動機は、知っていてくださる」という「信仰」を持っていました。
そして、誰だかわからない「神様」に、語りかけていました。
さて、私は喘息の発作で入院をしたことはありませんでしたが、呼吸ができなくて本当に苦しみました。そして、発作が出ているのに、学校にも行かされ、学校では机の上に伏せて、ゼーゼーと呼吸をするだけで精一杯でした。
どうして、これほどまでして、学校に行く必要があるのだろうかと思いました。
耐えられなくなって保健室に行って休む時もありました。
一度、発作が起こると、長い間、発作は継続しました。
しかも、発作が起こり始めたときから、どんどん、症状が悪化するので、
呼吸困難の苦しみは大変なものでした。
病気の苦しみと、母から追い詰められる精神的な苦痛の両方で、本当に苦しみました。
「発作が一度起こると、どんどん悪化して、慢性化する」という経験は強烈に記憶として残っています。
だから、一度、発作が起こると、「慢性化しないだろうか」「悪化しないだろうか」と不安になります。カルト化教会所属時代は、病院に行くお金もなかったので、慢性化すること、悪化する事を考えると恐ろしくてたまりませんでした。
そういう記憶があるので、今回、久しぶりに発作が出て、とても不安になりました。
「悪化しないだろうか」
でも、落ち着いて考えてみたら、今は、ちゃんと通院だってできるので、
きちんと病院に行って、適切な医療を受けていれば、悪化するという事にはならないと思いました。
実は、両親からの教え込みで、
私は「薬」に対する「恐怖」も覚える事があります。
両親は、「医療拒否」とまではいかないけれど、「薬」は「悪いもの」として理解しています。
「薬は危険だ」「薬を飲んではいけない」「薬を飲むから病気になるのだ」という事を、
やはり、」夕食の時に、頻繁に聞かされていたので、「薬に頼ったら、病気が治らなくなるのではないか」という恐れを持つ事があります。
それは、「事実」として、認識していた部分が強くて、
それが「医療拒否」に繋がるという事も認識していなかった部分があります。
でも、沖縄キリスト福音センターの被害状況の記事を読む中で、
「薬を飲まない事は医療拒否に繋がるのかもしれない」と思うようになりました。
カルト化教会でも、弟子訓練でも、
病気になったら「祈って治す」ということが、当たり前とされていて、
薬を飲んでも治らない場合は、「罪を隠しているから」という理由で病気が治らないとされ、
徹底的な告白が求められていました。
そして、周囲の人は「祈って癒された」とか「罪を真剣に悔い改めたら癒された」と話していて、
私も必死になって悔い改め、祈ったのを覚えています。
「主は、必ず、癒してくださる」と信じたとき、安心ができたことを、今でもありありと覚えています。
「主は癒してくださる」と確信する為に暗記した聖書の箇所を思い出すと、今でも、ほっと安心できるような気持ちになります。
今、病気の癒しについて考えるのは、
勿論、「神様は癒してくださる」と期待して良いし、祈って良いと思います。
でも、「証の為」として、病院に行かないという行動に移さなくても、
現代の医療を受けることができることを、神様に感謝して、治療を受けたら良いのだと思います。
そして、医療に寄りかかっているだけではなくて、生活習慣の見直し、健康になる為の努力も行っていいのだと思います。
自分でできることは、きっちりと、自己責任において行い、
同時に、癒してくださる神様に目を向けて、期待をしてもいいのだと思います。
「信仰」が極端になって、まるで雲の上を漂っているようになるのは危険だと思います。
「信仰」を持ちながら、自分でできることは努力する、病院にも行く、
そういうバランスが大切なのかなあって思います。
そうはいっても、子どもの頃からの教え込みと、
カルト化教会で教え込まれて、染み付いている感覚は、
なかなかとれないようにも思います。
だからこそ、自分で意識して、自分の頭を使って考え、情報を収集して考えるのは大切なのだと思います。
「信仰によって癒される」と信じ、「祈りによって癒される事で証をする」という教え込みに従順になった事で、病気が悪化してしまったケースがあると知りました。
自分の意識の中では、「病院は危険」「薬は危険」という考えがこびりついていますが、
実際の事例を考える時、そこから、学ぶ事が大切だと思います。
我慢しないで、病院できちんと診察をしてもらって、適切な薬をもらおうと思います。
こうやって、少しずつ、「健康的な意識」を学び直すことが大切なのだろうなと思います。
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