コアラさんのブログ

コアラ (4)
カルト化教会した教会脱会後のリハビリ,回復、そして成長へ。
お気に入りに登録する
ミニメールを送る
友だち申請をする
category_icon 全体表示 (1258)
category_icon コアラさんのHP
category_icon ブログの紹介
category_icon コアラのメルアド
category_icon 自助グループ
category_icon 破壊的カルトの特徴
category_icon 推薦図書
category_icon 専門機関
category_icon 具体的被害の対応
category_icon リンク
category_icon カルト化教会
category_icon マインドコントロール
category_icon リハビリ
category_icon リハビリ:感情
category_icon リハビリ:二元論
category_icon リハビリ:喪失感
category_icon リハビリ:思考停止
category_icon リハビリ:支援
category_icon リハビリ:マイコン
category_icon リハビリ:神学
category_icon リハビリ:境界線
category_icon 性的被害
category_icon カウンセラーの誤解
category_icon カルトの人格
category_icon 権威と従順
category_icon フラッシュバック
category_icon ゆれ戻し
category_icon 自分で考える
category_icon リラックス
category_icon 回復の喜び
category_icon アダルトチルドレン
category_icon 宣教記
category_icon 体調
category_icon 精神状態
category_icon 聖書の勉強
category_icon 献身とは
category_icon 某牧師の礼拝説教
category_icon 礼拝説教
category_icon 掲示板
category_icon らくがき帳
category_icon 日記
category_icon 食べ歩き
category_icon 犯罪、法律
category_icon 仕事
category_icon カルト経験の益
past month2010 02past month
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28
最新コメント arrowもっと見る
お気に入り arrowもっと見る
ブログデータ
今日の訪問者数 2
昨日の訪問者数 8
累計の訪問者数 37852
総記事数 1258
総コメント数 686
総スクラップ数 0
総トラックバック数 1430
お気に入りに登録された数 7
2005年12月06日開設
RSS 1.0 RSS 2.0 ATOM 0.3
category_icon カルト化教会 カテゴリ内の
週刊文春 | カルト化教会 2009/02/22 23:23
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002625212

「週間文春」の2月26日号に「小牧者訓練会」のビュン・ジェーチャンによるセクハラ被害についての記事が掲載されています。

 

教会内でのセクハラ、マインドコントロールを使ったセクハラが、明らかにされています。

 

主の名を使い、信仰を利用して、それを利得の手段とする行為が明るみになっています。

これからも、ますます、信仰という名の虐待を行っている牧師の悪事が明るみに出て、

教会の自浄作用があるようにと願っています。

印刷
実を見分ける | カルト化教会 2009/02/05 18:51
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002594546

先日、仕事の休憩時間に「不法滞在取り締まり」の番組を見ていました。

入国管理局の方が、防弾チョッキと手錠を持って、不法滞在をし、不法に労働をしている外国人を逮捕し、強制送還している様子が放映されていました。

 

それによると、現在、日本において不法滞在をして、労働をしている外国人は15万人いるそうです。私も、友人から、「日本の大学に留学生として入国し、その後、大学に通わないで、学生ビザで不法労働をして、ビザが切れても祖国に帰らない中国人が多いよ」と教えてもらいました。

 

私が、長野で「フィリピン教会から派遣された日本人宣教師」という立場で、開拓をしていた時、フィリピンの教会から、沢山の牧師、リーダー達が、「短期宣教師」として派遣されていました。

そして、短期宣教師として派遣されている間、何処かの工場で仕事を見つけて働き、その収入を仕送りしていました。

 

私は、その件について不審に感じて、開拓責任者の牧師に「その宣教師ビザで、工場での労働はできるのですか?」と質問した所、「これは、あなたには関係のない事だ。労働契約は、労働者と雇用者の間でなされているから、あなたの口出しする事ではない」と叱責され、それ以上は質問をしませんでした。

 

「宣教師」として送られてくる人の大半は、「スラム」で生活をしているのを知っていました。

そして、フィリピン国内には仕事がない事、そして、日本に短期でも来る人には「家族、親戚一同への仕送り」が期待されている事も知っていました。経済的な状況を知っているからこそ、それ以上は口出しをしませんでした。

 

しかし、宣教師たちと外出先から帰宅したときに、開拓の主任牧師が時々「あれは、入国管理局の人間ではないか?逃げよう!隠れないといけない!」と焦っていた時がありました。丁度、その頃、「入国管理局による摘発が頻繁になされている」という噂が外国人の間で流れていたようです。

 

長野での開拓時代、一緒に住んでいたフィリピン人は、タガログ語で話すので、会話のほとんどは理解できませんでした。でも、「あれは入管か?」と焦っていた時は、英語だったので分りました。当時、私は、彼らが不法行為をしているとは思っていなかったので、どうして、そんなに怯えるのか理解できませんでした。しかし、今から考えてみると、彼らは不法行為をしていた可能性があり、自分たちも不法行為をしているという自覚があったのではないかと思います。

 

仕事の休息時間に入国管理局の取り締まりの様子、そして、不法滞在をしている外国人が手錠をかけられる様子を見ながら、カルト化教会に所属していた時、私もそういう状態を経験していた可能性だってあったのだと思いました。

 

「カルト化教会」という一般社会から隔離された世界で生きるという事で、一般社会の感覚も、一般社会の常識もわからなくなるくらい、マインドコントロールをされていたのだと気付きました。

 

それと同時に、「開拓の本来の目的」は「救霊」ではなくて、「労働で、賃金を得る事」だったのかもしれない、また、「献金を集める手段」だったのかもしれないと思いました。

 

当時、私は真剣に「日本に滞在しているフィリピン人の救い」を求めて働いていましたが、

組織の目的は、全然違うところにあったのかもしれないと思います。そして、「宣教師ビザの悪用」をする人の為に、本気で「宣教師」として入国を求める人がビザを取得するのが困難になるなら、それは迷惑だと思います。

 

「宣教師」を受け入れる教会として、その宣教師の動機が純粋に「宣教活動」にあるのか、それとも「労働」が目的なのか吟味する事も大切ではないかと思いました。現在、「宣教師ビザ」で入国して、「カルト化教会の教祖」のような存在になっている方の問題が明るみになってきています。

 

たとえ、その宣教師の教会信徒数が爆発的に成長したとしても、それがマインドコントロールによるものであったり、「資金集め」が目的であったりするならば、安易に「リバイバルが起こっている」と理解したり、宣伝するのは危険だと思います。

 

「宣教師の動機」を、きっちりと見分ける事も大切だと思います。

「宣教師」という立場を悪用されていた場合、それによって社会の信頼を失うのは「キリスト教」だからです。短期的な「教会成長」によって「立派な教会」と決め付けるのは危険だと思います。

 

イエス様ご自身も「実によって見分けなさい」と教えられました。

その実とは、「人数」ではなくて、「質」であるべきです。

その働きにおいて「聖霊の実」が見られるのかどうか、そこで見分けるのが大切だと思います。

印刷
秋の味覚 | カルト化教会 2008/11/04 19:44
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002431207

今年は去年に比べて、さんまが安くて、とても嬉しいです。

果物も、去年よりも安いのではないかと思います。

 

カルト化教会所属時代の食生活は本当に貧しい時が多くて、一房100円のバナナすら買うことができなくて、果物屋さんの前を通りながら「神様。バナナが食べたいです。でも、お金がないので買うことができません。バナナすら、買うことができません。バナナが食べたいのです。主よ」と祈った事もありました。そして、その日の夜に大量のバナナを誰かが持ってきてくださって、自分たちでは食べきれないので他の人にも持って行きました。神様が祈りに答えてくださって、しかも、他の人に分け与えるくらいまで与えてくださって、感動したのを覚えています。

 

カルト化教会所属時代の食事は、あるときは、キャベツを切っただけのものだったり、パン屋さんでパンの耳をもらってきて、カビの生えた部分を取り去って食べたり、白いご飯の上にマヨネーズとしょうゆをかけて食べた事もありました。

 

それでも、本当に食べるものがなくて飢えるという事はなくて、どんなに貧しくても、毎日食事ができるのはありがたいことでした。

 

フィリピン人宣教師と共同生活していたときは、フィリピン人のお米の消費量が異常に多くて、一ヶ月に30キロのお米が必要でした。そして、おかずはウインナー一切れとか、イカ一切れっていうようなものでした。フィリピン人宣教師は沢山、ご飯を食べましたが、私は、ちょっとご飯を食べるだけで「あなたのせいで食費がかかる!!!」と叱責されるので、遠慮して、食事を控えていました。でも、お米の消費量が多いので、一人暮らしをしているよりも、お米代は払っていました。

 

そういう生活を経験してきたからこそ、今、自由に魚が買える、果物が買える、お腹が一杯になるまで食べる事ができるということが、本当に貴重で、嬉しい事だと思えます。必要最低限の食事だけではなくて、友人と外食もできるし、コンビニで買い物もできるし、デザートも買えるということが、とても、とても贅沢なことのように思えるのです。

 

そういえば、共同生活のときに、少しでも食費の負担を減らす為にタイ米を買っていたときもありました。食生活は貧しかったけど、本当に食べるものがないという経験をすることがなかったのはありがたいと思います。パンの耳を調達できた時は、大喜びをしていたのを懐かしく思い出します。

 

そういう貧しさも、貴重な経験だと思います。

貧しさを経験したからこそ、毎日食事ができる事がどれほどありがたいのかが分かるからです。

 

カルト化教会の被害者と話す時、カルト化教会所属時代の食生活って似ている部分があって、話が盛り上がる事があります。破壊的カルトで共同生活をしていた方も、食生活では似ている部分があって、やはり、話をすると盛り上がります。それが結構楽しいんですよね。

 

ところが、カルト経験をしたことがない方に、カルト化教会所属時代の食生活を話すと、言葉を失ったり、驚かれたりするんですよね~。そういう反応の違いを見るのも、結構興味深いことだと思います。

 

以前、カルトセミナーに出席したときに、カルト経験をしたことのないクリスチャンの方が「カルト化教会のメンバーは、いやいや献金をしているんですよね?私なんて、高額の献金をしたことがありますが、後悔した事はありません」といった内容の発言をされて、ショックを受けて、数日間寝込んだ事があります。

 

長野で開拓をしていたときには、給料の最低50パーセント献金が義務付けられ、私の少ない収入ではその金額はたいした事はないかもしれないけど、毎日2時間から4時間の残業をして、共同生活費を支払って、給料日に手元に残る金額が1000円以下の生活で、辛くて、辛くて毎日こっそり泣いていました。

 

それでも、カルト化教会では、いつも献金が足りなくて、経済の必要に追われていて、主任牧師の肩に、その重圧がのしかかると教えられていたので、自分だけ、贅沢をして、自分だけ、自分の楽しみのためにお金を使ってはいけないと思っていたのです。今は辛くても、きっと、きっと、天国に行ったときには「よくやった。忠実なしもべだ」と言ってもらえるということが希望でした。

 

京都シティー・チャーチでも、長野のカルト化教会でも、まさか、そのお金が牧師の懐に入っていたなんて、そんなことは全く考えていませんでした。

 

そういう出来事を、今でも鮮明に思い出すことができます。

 

そして、今の生活を考えると、本当に幸せだなあって思えるのです。

自分自身の楽しみのために食事ができる、しかも、その為に罪悪感を覚えなくてもいいし、

悔い改めなくてもいいのです。

 

そして、他者を祝福したい時は、自分の自由意志で、自分の選択で、自分のできる範囲で祝福できるのです。

 

今は、素晴らしい自由を手にして、本当に幸せだと思います。

カルト化教会に所属していた時は、脱会したら不幸になる、堕落する、主の祝福を失うと教えられていました。しかし、実際は、自由を手にし、自分自身を取り戻すことができたのです。

印刷
信仰と医療 | カルト化教会 2008/10/10 23:49
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002385468

喘息の発作が起こると、私はとても不安になります。

 

子どもの頃、私は頻繁に発作を出していて、しかも、発作が起こるたびに、母から酷く怒られました。「わずらわしい」「うっとうしい」そういう怒りを浴びせられ、喘息で苦しみながら、精神的にも追い詰められました。

 

そして、腹を立てている母親は、喘息の私の不安を激しくあおりました。

そして、「コアラが喘息なのは、神様からの罰が当たっているのよ。いつも、いつも、ろくでもないことばかりしているからよ!!! コアラはろくでもない子どもだから、また、今晩も喘息がでるわよ」

 

不安をあおられ、私の喘息の発作は、私が悪い子どもだから神さまが罰を当てているのだ、

そして、今晩も、喘息で苦しむだろうという「予言」のような言葉を吐かれ、私はますます不安になりました。そして、やはり、夜は発作で苦しみました。

 

でも、不思議なのは、

私は子どもながら「神様」という存在は信じていました。

それが、どういう方なのか知りませんでしたが、「喘息の発作は神様からの罰」とは思っていませんでした。むしろ、「神様は何でも知っておられる」と信じていたから、「神様は、私が母からひどい仕打ちを受けていることも知っていてくださる。そして、私はろくでもない悪い子と母は言うけれど、たとえそれが事実であったとしても、私の心の動機は、知っていてくださる」という「信仰」を持っていました。

 

そして、誰だかわからない「神様」に、語りかけていました。

 

 

さて、私は喘息の発作で入院をしたことはありませんでしたが、呼吸ができなくて本当に苦しみました。そして、発作が出ているのに、学校にも行かされ、学校では机の上に伏せて、ゼーゼーと呼吸をするだけで精一杯でした。

 

どうして、これほどまでして、学校に行く必要があるのだろうかと思いました。

耐えられなくなって保健室に行って休む時もありました。

 

一度、発作が起こると、長い間、発作は継続しました。

しかも、発作が起こり始めたときから、どんどん、症状が悪化するので、

呼吸困難の苦しみは大変なものでした。

 

病気の苦しみと、母から追い詰められる精神的な苦痛の両方で、本当に苦しみました。

 

「発作が一度起こると、どんどん悪化して、慢性化する」という経験は強烈に記憶として残っています。

 

だから、一度、発作が起こると、「慢性化しないだろうか」「悪化しないだろうか」と不安になります。カルト化教会所属時代は、病院に行くお金もなかったので、慢性化すること、悪化する事を考えると恐ろしくてたまりませんでした。

 

そういう記憶があるので、今回、久しぶりに発作が出て、とても不安になりました。

「悪化しないだろうか」

 

でも、落ち着いて考えてみたら、今は、ちゃんと通院だってできるので、

きちんと病院に行って、適切な医療を受けていれば、悪化するという事にはならないと思いました。

 

実は、両親からの教え込みで、

私は「薬」に対する「恐怖」も覚える事があります。

 

両親は、「医療拒否」とまではいかないけれど、「薬」は「悪いもの」として理解しています。

「薬は危険だ」「薬を飲んではいけない」「薬を飲むから病気になるのだ」という事を、

やはり、」夕食の時に、頻繁に聞かされていたので、「薬に頼ったら、病気が治らなくなるのではないか」という恐れを持つ事があります。

 

それは、「事実」として、認識していた部分が強くて、

それが「医療拒否」に繋がるという事も認識していなかった部分があります。

でも、沖縄キリスト福音センターの被害状況の記事を読む中で、

「薬を飲まない事は医療拒否に繋がるのかもしれない」と思うようになりました。

 

カルト化教会でも、弟子訓練でも、

病気になったら「祈って治す」ということが、当たり前とされていて、

薬を飲んでも治らない場合は、「罪を隠しているから」という理由で病気が治らないとされ、

徹底的な告白が求められていました。

 

そして、周囲の人は「祈って癒された」とか「罪を真剣に悔い改めたら癒された」と話していて、

私も必死になって悔い改め、祈ったのを覚えています。

 

「主は、必ず、癒してくださる」と信じたとき、安心ができたことを、今でもありありと覚えています。

「主は癒してくださる」と確信する為に暗記した聖書の箇所を思い出すと、今でも、ほっと安心できるような気持ちになります。

 

今、病気の癒しについて考えるのは、

勿論、「神様は癒してくださる」と期待して良いし、祈って良いと思います。

でも、「証の為」として、病院に行かないという行動に移さなくても、

現代の医療を受けることができることを、神様に感謝して、治療を受けたら良いのだと思います。

 

そして、医療に寄りかかっているだけではなくて、生活習慣の見直し、健康になる為の努力も行っていいのだと思います。

 

自分でできることは、きっちりと、自己責任において行い、

同時に、癒してくださる神様に目を向けて、期待をしてもいいのだと思います。

 

「信仰」が極端になって、まるで雲の上を漂っているようになるのは危険だと思います。

「信仰」を持ちながら、自分でできることは努力する、病院にも行く、

そういうバランスが大切なのかなあって思います。

 

そうはいっても、子どもの頃からの教え込みと、

カルト化教会で教え込まれて、染み付いている感覚は、

なかなかとれないようにも思います。

 

だからこそ、自分で意識して、自分の頭を使って考え、情報を収集して考えるのは大切なのだと思います。

 

「信仰によって癒される」と信じ、「祈りによって癒される事で証をする」という教え込みに従順になった事で、病気が悪化してしまったケースがあると知りました。

 

自分の意識の中では、「病院は危険」「薬は危険」という考えがこびりついていますが、

実際の事例を考える時、そこから、学ぶ事が大切だと思います。

 

我慢しないで、病院できちんと診察をしてもらって、適切な薬をもらおうと思います。

こうやって、少しずつ、「健康的な意識」を学び直すことが大切なのだろうなと思います。

印刷
失敗ではなく「学習」 | カルト化教会 2008/10/10 00:11
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002383700

私は、主の弟子となりたくて、アメリカで弟子訓練を受けました。

しかし、実際は、そこでアイデンティティーを崩壊され、イエスマンへと変えられたのです。

 

いろいろな苦しみも「弟子となる為」と思って耐えてきました。

 

カルト化教会を脱会してから、この弟子訓練を思い出すとき、「いったい、何の為に苦しみを耐えたのだろうか」と情けなく、悲しくなりました。

 

でも、考えてみれば、「弟子訓練」で学んだ事は、全てが悪い事というわけではなくて、

今の私という人格を形成する為に、貴重なことを沢山学ぶ事もできたのだと思います。

 

弟子訓練を行っている教会の使徒Sが、礼拝でこのように語っていたのを覚えています。

 

「私は、自分の辞書から失敗という文字を切り取りました。だから、私の言葉には失敗はありません。私の辞書には失敗はありません。それは学習なのです。」

 

同じ出来事でも、見る視点が違う事で、これだけの考え方の違いが出てくるのだと感心したのを覚えています。そして、私も、自分の人生から「失敗」という言葉を消し去ってしまいたいと思いました。

 

「最後の授業」ランディ・パウシュ著:ランダムハウス講談社の中にも、これと似たような言葉が書かれていました。

 

 

****************************************

 

「失敗した事がある人は、大抵、失敗を回避する方法を知っている。

成功しか知らない人のほうが、落とし穴に気がつきにくいものだ。」

 

「経験とは、求めていたものを手に入れられなかった時に手に入るものだ。そして、経験は、君が提供できる中で、大抵もっとも価値あるものだ。」

 

***************************************************************************

    

 

それを、自分の人生にも当てはめて考えて見ることが出来るように思います。

 

機能不全家族で育ち、本当に長い間、家族の事で悩み続けた事も、

カルト化教会に所属して、全てを捧げて献身した事も

「失敗」として考えるのではなくて、これらの経験は、「貴重な何かを学習する時であった」と考えるならば、そこに、とても価値のある「意味」が見出せるように思います。

 

その只中にいる間は、自分なりに真剣だったし、本気で悩み、もがき、その中で「従う事」を決心したことさえも、「貴重な経験」と考える事だって出来るのだと思います。

 

この日本の中で、「マインドコントロールをされた苦しみ」を、心から理解できる人って、そんなに多くないと思います。自分が経験した事で、その苦しみを理解できるなら、それは非常に価値があることではないでしょうか?

 

同様に、機能不全家族で育った苦しみ、虐待を受けるという苦しみを、心から理解できる人って、そんなに多くはないと思います。たとえ、心理療法士であったとしても、学問としてアダルトチルドレンの苦しみを理解する事はできるかもしれないし、患者の数が多くて、だんだん、理解できるかもしれないけど、

 

それでも、「言葉で表現するのが困難な心理状態」を理解できるというのは、本当に困難だと思います。

 

確かに、似たような経験をしても、「経験」そのものは、一人一人違うし、「感じ方」だって、一人一人違うから、完全に誰かの痛みを理解できる事はありえないと思うけど、それでも、「私も同じ経験をして、回復の為に取り組んでいる」という事が、同じような苦しみを持っている人にとって、どれだけ励ましになるのか分かりません。

 

順調ではない時期にこそ、

学ぶ事が多いような気がします。順調ではない時期こそ、悩み、必死で考え、反省し、学習することができるような気がします。

 

だから、私が機能不全家族で育った事によって、無邪気な子ども時代を経験する事はできなかったけど、無邪気な子ども時代は喪失しているけれど、「家族とは何か」「親子とは何か」「生きるってどういうことか」「自分の存在はいったい何なのか」「愛する事」「許すこと」「祈る事」「神様に尾ゆだねする事」そういうことを、じっくり、じっくり考えるという経験を手に入れることが出来たと思います。

 

弟子訓練でも、結果的には聖書の教えからずれていたけれど、

あの経験があったからこそ「教会とは何か」「信仰とは何か」「礼拝とは何か」「神学とは何か」という事に対して、じっくり考えるという「経験」を手に入れたように思います。

 

そして、その「痛みを伴う学習」は、これからの私の生涯で非常に意味のあるものになるだろうし、もしかしたら、それは自分だけではなく、誰かにとっても意味のあるものになるのかもしれないと思います。

 

「この経験は、価値があるのだ」と理解するなら、

ありのままの過去を受け止め、大切にする事も出来るのだと思います。

印刷
KCCとの出会いを振り返って | カルト化教会 2008/09/25 23:37
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002357682

私は高校生の時にクリスチャンになりました。

 

初めて教会を訪れたのは、教会で宣教師から英語を学びたいと思ったからでした。

教会の戸を叩き、牧師婦人と話をしたとき、教会の看板には宣教師の名前が書いてありましたが、実はその宣教師は帰国されたと教えていただきました。

 

高校生の当時、私は幼児期から抱えていた機能不全家族での孤立感、疎外感で悩んでいました。いつも、いつも、どうやったら家族が平和になれるのかを考えていたのです。そして、自分は、存在してはいけないと思っていました。私が存在しなければ、家族は幸せになると思っていました。

 

そういう心理的状況で教会を訪れたのです。

私は心の悩みを打ち明ける事はありませんでしたが、牧師婦人から「お祈りしてもかまいませんか」と質問されました。

 

そして、「コアラさんが、お母さんの胎内にいるときから、あなた(神様)は、彼女の名前を呼ばれ、人生に計画を持っていてくださったことをありがとうございます」と祈られたのです。

 

どうしてか、その祈りを聞いた時に、涙が流れ、心が揺さぶられました。

始めて出会った私に対して、どうして、このような祈りをされるのだろうかと思いました。

私なんて、存在しないほうが良いと、幼児期から親に言われているのに、

この私に対して、神様は名前で呼んでくださり、人生の計画もしておられるのかと驚きました。

それは、本当だろうか、そう思いました。

 

それがきっかけで教会に通うようになったのですが、数年の間に、教会の中で教職同士、信徒同士の中で争いが起こるようになり、牧師、宣教師の入れ替わりも激しくなっていきました。

 

私は、クリスチャンになって、数ヶ月してから「召命」をもらって、この教会で献身しよう、その為に、神学校に行きたいと願っていましたが、教会の内部でごたごたして、牧師も定着しない状態で、神学校の相談をする人もいなくて、どうすればよいのか悩んでいました。

 

自分なりに、神学校を調べているうちに、YWAMの弟子訓練が魅力的に思えて、ベースまで説明を聞きにいったこともあります。

 

そういう状態で、どの方向に進めばいいのか、明確に答えが出ないまま、社会人として働く事になりました。神様の「今、献身しなさい」というタイミングはいつなのか、全然分からないけど、いつでも応答できるようにしたいと思っていました。

 

そういうときに、KCCのデローから「素晴らしい弟子訓練学校がある」という話を聞き、

そのプロモーションビデオを見せてもらいました。そして、英語は全然分からないので、アメリカの弟子訓練なんて無理ですよと笑って答えたのですが、デローは真剣に「祈ってください」と言ってきました。

 

自分でも真剣に祈る中で「もしかしたら、これこそが、導きなのかもしれない」と確信するようになりました。それをデローに伝えた時に「私もそう思っていました。私たちと一緒に、教会の開拓をしませんか。共同生活をスタッフとして始めませんか」と誘いを受けました。

 

高校生で召命を受け、いったい、どのような形で踏み出すのか分からなかったけど、

そして、何度も、何度も「これが示されている方向か」と思って、一歩を踏み出そうとした時に、

どこかでストップがかかって、道が閉ざされたけど、

 

今回こそが「導き」であり、「神様の時」かもしれないと思いました。

 

何度も祈り、聖書を読み、そして「御心に違いない」と確信して、KCC所属を決めました。

決断するまでに1年は、考え、KCCの集会に出て、吟味を重ねました。そして、考え、悩んだ末「これが導きに違いない」と確信し、KCCに所属する事になったのです。

 

神様は、道を開いてくださったと思ったし、長い間、待ち続けてきたこと、「道が開かれる」という事を、本当に嬉しく思いました。

 

その時には、デローは「「預言者」だと思っていました。

神の器だと思っていました。そして、愛に溢れた牧師だと思っていました。

デローと話をする時、彼の表情は穏やかで、優しくて、「アイ ラブ ユー」とか「神様は、あなたに偉大な計画を持っておられる」とか言ってくれるし、ハッグしてくれるし、

 

これほどの愛に溢れた人は今まで見たことがないと思いました。

 

デローとの出会いを、本当に神様に感謝し、これからの「導き」に大きな期待をしました。

印刷
隠された宝 | カルト化教会 2008/09/07 23:09
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002322460

今日は、去年の今頃、病気で天に召された友人の「記念会」が行われました。

 

「記念会」が行われる事で、今週は、天に召された友人のことを考え、それに伴って、いろいろなことを思い出して、精神的にかなり不安定になっていました。

 

だけど、振り返ってみると、この一年は、とても短く感じられ、同時に、「リハビリ」も気がつかない間に、確実に進んでいて、一年前の自分の状態と、現在の今の状態を比べると、この一年も、確実に回復したという実感を覚えました。

 

そして、今日の記念会で、想像もしていなかった友人との再会がありました。

KCCの脱会者でした。彼女との再会も、一年ぶりで、しかも、今日、彼女も参加される事を知らなかったので、彼女を見て、驚きと共に、喜びの熱い感情が込み上げてきました。

 

この一年、お互いに一切連絡を取ることがなくて、私も「やはり、KCCの事を思い出したくないから、連絡もないのかなあ」と勝手に想像して、気を使って、連絡をしませんでしたが、

実は、単に忙しくて、連絡が取れなかっただけだったようです。

 

互いに、今の様子について話をして、

それぞれが、自分のペースで、自分の方法で、KCC時代の事を見つめなおし、取り組み、

後遺症に一つ一つ向き合って、克服していっているという事、そして、それぞれが、自分で選択して生きるという、自分の人生を取り戻していることを、互いに喜ぶ事ができました。

 

彼女は、KCC時代には、結構、上の立場だったので、

当時は、彼女が私を指導し、命令し、デローの指示を伝え、叱責するという事が、頻繁にありました。

 

でも、今は、そのような上下関係は全くなくて、互いに、弱さも安心してみせる事ができ、

互いに、人格と自由意志を尊重できる関係になれたことが、嬉しく思いました。

 

「記念会」で、隣同士の座席に座りながら、

私たちが、KCCの礼拝の座席にいるのではなくて、この教会の座席にいること自体が、

なんとも、不思議で、不思議でたまらないような気がしました。

 

当時は、「脱会」なんて、絶対にしないと、約束しあっていた仲間だったので、

自分たちが、KCCを離れるなんて、考える事すら恐ろしくて、できなかったのです。

 

KCC時代は、互いにほぼ毎日顔をあわせていたけれど、

それは、「デローへの絶対服従」という約束でできあがっていた関係であり、

人間と人間のふれあいのような信頼関係はありませんでした。

 

ただ、任務に忠実である事だけが目的となっていました。

 

今、一年に一度会うだけの関係ではあっても、

相手の幸せを喜び、相手の自由意志による選択を喜び、

互いの後遺症の痛みを分かち合う事ができるという関係は、

 

当時、毎日、毎日、長い時間を過ごしていた時よりも、良い関係になっていると思います。

 

KCCでの出来事は、辛く、苦しい事が多かったけど、

一緒に脱会した友という存在は、尊くて、それを考えてみても、KCCの全てが悪であったというわけではないと思えるようになりました。

 

今日は、天に召された友人を思いながら、

脱会した友人と時間を過ごす事ができて、とても嬉しくなりました。

 

苦しみの経験の中でも、こうやって、神様はそっと宝を隠してくださっていたのかなと思いました。

 

 

印刷
京都シティー・チャーチ時代の日課 | カルト化教会 2008/08/30 00:31
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002304426

アメリカでの弟子訓練を終えて帰国し、カルト化教会である京都シティー・チャーチで献身していた時の生活、日課を書いてみたいと思います。

 

まず、京都シティー・チャーチに所属するようになった時から、共同生活が始まりました。

弟子訓練に行くまでの数年間は、私の奉仕は、他のスタッフと比べるとましなほうだったし、

意見を言う事を叱責される事もあまりなかったのを覚えています。

 

アメリカの弟子訓練を終えて、日本に帰国した時、偽使徒デローの家の二階での共同生活に戻る筈でした。ところが、帰国してみると、「コアラは、ここで共同生活をする事はできない。一人で生活しなさい。コアラは、問題を起こしすぎているから、上の住人たちは、一緒に生活する事を拒否している。」と言い渡されました。しかも、仕事をしても良い曜日と、労働時間は、デローに指示されたので、その範囲内での仕事を探す必要があって、仕事を探すのに非常に苦労をしました。

 

毎日、毎日、「いつ出て行くのか」とデローから問い詰められました。

とにかく、仕事をしても良い曜日と、仕事ができる時間が制限されているので、仕事を見つけるにしても、住まいを見つけるにしても大変でした。

 

しかも、弟子訓練で、貯金の全てを使い果たし、無一文でした。

それにもかかわらず、帰国後も、共同生活の家賃、生活費、教会で行っている神学校の学費を請求されました。神学校の授業への出席も、自由意志で決める事はできず、「絶対命令」でした。

 

何とか、しばらくの間の生活費を稼ぐ為に、警備員の仕事をしたこともあります。警備員の仕事をしている間は、奉仕地獄から逃れられるし、叱責の嵐、脅迫から逃れられるひと時でした。私にとっての、休息のできる時でした。

 

そして、デローの家に自転車で通える範囲の場所で、アルバイトと、アパートを見つけました。

 

それから、再び共同生活をするようになるまでの数年間の日課は、次のとおりでした。

 

<仕事をしても良い日>

5時:起床

6時から17時:アルバイト

18時から22時半:集会と奉仕

23時から翌朝2時:夕食を手早く済ませ(調理し、食べて片付けるまで目標30分)、自宅で翻訳の奉仕。また、子どもの礼拝の為の準備、スキットの準備、(使う曲を決める、ストーリーを決める、各自のふりつけを考える、スキットの奉仕者を決める。)とにかく、命令された仕事、仕事、仕事を必死でこなす。神学校のテストの提出も毎月ありましたから、その為に、英語で教科書を読み、テストを受けないといけませんでした。だから自分の勉強も必要でした。セルの準備、キーボードの練習etc,,,

 

<一日中、教会で仕事の日>

10時から17時:教会の事務所で奉仕または、チラシ配布(一度に配るノルマは5000枚。勿論一人で。コピー、裁断、配布まで一人で。)

18時から22時半:教会の集会と奉仕

23時から翌朝2時:翻訳の奉仕を自宅で行う

 

<結婚式のある日曜日>

7時:京都駅を出発:結婚式を行う

15時:京都に戻り、そのまま教会へ:礼拝の為の奉仕

21時:帰宅:翌朝2時まで翻訳と、他の奉仕

 

集会は、

月曜:休みだったかな??

火曜:とりなしの祈り

水曜:セル・チャーチ

木曜:スキット練習

金曜:コーヒーハウス

土曜:バンド練習

 

このような日課でした。

一分、一秒でも無駄にできないような状況でした。特に大変だったのは、翻訳するべき本が、毎月二冊は確実に増える事。しかも、一冊は薄くても200ページくらいはある本で、字もぎっしりであり、本来、毎月、確実にそれらの本は翻訳されているべきであった事です。

 

しかし、私の英語力では、翻訳は簡単ではありませんでしたし、当時はお金がなかったので、長い間、中古のワープロも買えなくて、翻訳は手書きで行っていました。しかも、本の中に突然スペイン語が混じっていたり、日本語に翻訳すると意味が分からない冗談が入っていたり、箇条書きの「単語」のページなどは、同じ単語の中の、どの意味を訳した欲しいのかも全く分からない状態であったり、

 

とにかく、必死で翻訳をするしかない状態でした。

自己ベストを尽くして、尽くして、これ以上は無理だというところまで頑張りました。

 

それでも、命令されている期限内に翻訳は終了できないし、度々、「まだ終わらないのか。何をやっているのか」と怒られました。

 

翻訳だけでも大変なのに、それ以外にも、大量の「任務」を与えられていました。

それらは、簡単にできるものではなかっり、絶対に実現不可能なのに、何とか指示通りに任務を終えて報告すると、急遽「導き」が変わって、最初からやり直しということも、何度もありました。

 

毎日の睡眠時間は、3時間以下には削る事ができませんでした。それが私の限界でした。

コーヒーをお茶代わりにのみ、それでも、カフェインが足りないので、栄養ドリンクを飲みました。

それでも、無理な時は、カフェインの錠剤を飲みました。

 

私は、本当に疲労でふらふらでした。

精一杯、努力をしても、命令されている課題の半分もできなくて、いつも「時間との戦い」を意識していました。とにかく、「1秒でも無駄のないように」意識していました。

 

そして、出来上がった本の「翻訳が悪い」とクレームがきたと怒られる事もありました。

でも、私は、毎日、自己ベストを尽くすしかありませんでした。

 

 

印刷
吟味、吟味、 | カルト化教会 2008/08/27 18:33
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002298673

私が所属していたカルト化教会、京都シティー・チャーチとの「和解」について、「私が受けた精神的、信仰的被害については、法律では対応できない」という事について、葛藤を覚えたという記事を書きました。

 

京都シティー・チャーチで献身していた(京都シティー・チャーチには信徒はいません。メンバー全員が献身者です)日々について、精神的虐待、信仰という名の虐待を考えた時に、「法律」では、その被害の大きさを明確に示す事ができない事を、歯がゆく思いました。

 

しかし、もう一度、ゆっくりと、考えています。

この「和解」に至るまでの出来事、そして、「和解」という結果を考える時に、「歯がゆさ」以外の見方はできないだろうか。確かに、私が受けた被害、その傷の大きさは、「法律の枠」においては、明確にできなかったという事実はありますが、それは、事実の一部分であって、すべてではないのではないだろうか。他の視点で考えると、どのように考えられるだろうかと、吟味をしています。

 

例えば、

裁判所に訴えるまでの経緯を考えても、自分自身が、後遺症で恐怖に怯え、偽使徒デローを訴えるのは御心に反するのではないか、神様への反逆ではないかとの不安を克服した事。

その為に、聖書を学び、時間をかけて吟味した事。これは充分に価値があることです。

 

また、裁判準備と平行して、まだカルト化教会である京都シティー・チャーチにおいて、現役で活躍していた仲間を救出できたことも、充分な価値があります。

 

そして、京都シティー・チャーチにおいて、偽使徒デローが行っていた悪事の証拠を集め、被害者を集めた事も、充分な価値があることだと思います。ある被害者は、裁判という方法で追求する事を選ばず、ある被害者は、裁判での追及を選びました。それぞれの自由意志を尊重し、それぞれが自分で考えて決断できた事も価値があると思います。

 

また、証拠集め、資料作成をしながら、きちんと働いた事、

精神的にぎりぎりだったけど、病院から処方される薬を飲みながらも、日常生活を継続した事、

そして、同時進行で、カルトについて、マインドコントロールについて学び、後遺症について学び、神学校の勉強と、カルトでの教え込みを吟味する為の勉強を同時進行したこと、

それも、「よくやった」と自分を褒めても良い事だと思います。

 

そして、裁判に訴えるという方法を選んだ事で、偽使徒デローが逃亡し、結果的に京都シティー・チャーチが機能しなくなったことも、「法律に基づいて、責任の所在を明らかにする」という事を決断した結果であるので、それも「よくやった」と自分を褒めても良いと思います。

 

そして、最初、裁判を始めると決めた時は、「赤字」または、良くても「プラス、マイナス、ゼロ」という結果を覚悟して始めたということ。そして、結果として「プラスが出た」という事は、嘆かわしい事ではなくて、感謝なことだと思います。

 

最終的に「裁判」を決断することができた動機は、「裁判によって、秘書が自分が悪事に加担したという事実に向き合える為、そして、今度は誠実に生きるという選択をするきっかけを作る」という事でした。そして、もしかしたら、形の上だけかもしれないけど、それでも「自分が被害を与えた事を認めたこと」は、大きな意味があるように思います。

 

それを、「和解」にする為の方策だったのか、本心からか。。。。

それは本人しか分からないかもしれないけど、それでも、本心だったら、誠実さを見せてくれるはずだと思います。その誠実さが見えてこない、そういう部分が、非常に悲しいけど、これは、本人の問題だから、私にはどうすることもできません。私の範疇ではないので、私が心配したり、悩んだり、怒ったりすることもないと思いました。

 

私にできる範囲での事は、精一杯した、

心から誠実に、京都シティー・チャーチからの脱会者と関わる事ができた、

そして、脱会した仲間が、それぞれの人生を取り戻すことができた、

そして、京都シティー・チャーチは、消滅した、

 

そういうことを考えてみる時に、

私は、自分でできる限り、誠実に対応し、やることをやった、

それは、完成された最善ではなかったとしても、精一杯、取り組んだ、

そのように言う事ができると思います。

 

そう考えると、「司法」という範囲の中で、

やることはやったし、できることはやった、

そして、自分の願いがそっくりそのまま叶ったわけではないけど、

これは、精一杯頑張った結果なのだ。

これは、これでいいのだ。

 

そして、自分だけの力では、到底できなかった事を、

本当に多くの支えがあってこそ、実現したということも事実です。

 

そうです。これは、絶対に、私一人の力ではできなかった事です。

多くの方の支えがあったからこそ、実現した事なのです。

 

そう考えると、事実は事実として受け止めて

この事実は「自分でできる限りをつくし、協力者もできる限りを尽くした、努力と、愛と忍耐の結晶なのだ」と捉えることができます。

 

そして、この「和解」は、カルト化教会での出来事の一部であって、

全てではないと言う事。

 

それも、事実です。

 

そう考えると、全体から、いろいろな角度で考えて見ると、

「これでよかったのだ」といえるのではないかと考える事ができるようになりました。

印刷
偽使徒デロー・ウエブ | カルト化教会 2008/08/23 13:48
http://myhome.cururu.jp/rihabirikoara/blog/article/51002289081

京都シティー・チャーチの偽使徒デロー・ウエブは、何処で聖書を学んだのでしょうか。

 

私が、最初、デローと出会ったとき、デローはYWAMからの宣教師として入国していました。

偽使徒デローによると、彼はアメリカの教会で「刑務所のミニストリーをする牧師」として、教会で任命され、長い間、働いていたそうです。

 

そして、ある時に、日本人をホームステイさせて、それによって、日本人の中に深い悲しみを見て、父なる神様の愛をなんとしても伝えたいという願いが起こされ、祈り求め、日本宣教への道が開かれたということでした。

 

そして、日本に来る前は、アメリカで植木屋の自営業をしていましたが、

それを手放したそうです。そして、日本に来る為の準備の費用が膨大だったので、

日本に来たときには、スーツケース2つしかなくて、金銭的にはそれしかない状態だったそうです。

 

植木屋という仕事で、大きな会社を経営していたのに、日本への重荷が与えられて、

その為に、持っているものをすべて売り払った、

 

そういう風に語っていました。

 

当時、私はまだまだ、若くて、いろいろなことが分かりませんでした。

だから、その話を聞いて、単純に感動しました。

 

それほど豊かな生活を約束されていた人が、

日本人を愛し、神様に従って、犠牲を払ってこられたのだと思いました。

 

今から考えると、

その話はおかしい事が多いと思います。

 

植木屋の経営者であって、売り払ったとしても、

確かに、その仕事は継続できなくても、売り払ったという収入があるはずで、

 

日本に来たときにスーツケース2個しか財産が残らなかったというのは、非常におかしな話だと思います。

 

脱会してから、同じ京都シティー・チャーチの脱会者から聞いたのですが、

偽使徒デローの妻が、「アメリカで膨大な借金を抱えたけれど、神様の奇跡によって、借金がすべて帳消しになった」といっていたそうです。

 

そう考えると、つじつまがあいます。

 

偽使徒デローは、アメリカで起業したけど、能力がなくて成功できなくて、

結果として膨大な借金を抱えてしまった。

 

それで、自己破産をして、失業しているのをどうしようか考えていた時に、

日本人の生徒をホームステイさせて、

 

日本人は、「愛している」とさえ言えば、簡単にひっかかると思って、

日本に来たのではないでしょうか。

 

そして、宣教師ビザが必要なので、大きな宣教団体であるYWAMの弟子訓練を受けて、

そこから、YWAMの宣教師という形で、とりあえず、日本に入国を実現させたのでしょう。

 

ここでも不思議なのは、どうして、デローが長年所属し、刑務所牧師として働いていたアメリカの教会が、「宣教師ビザ」を発行する為に手続きをしてくれなかったのかということです。

日本での受け入れ先を確保することが、宣教師ビザには必要なので、YWAMを利用したという事でしょうか。

 

デローは、京都での開拓を始めてしばらくしてから、YWAMとの間で問題を起こし、YWAMから離れています。そして、教会では、「YWAMは重大な過失を犯した。だから、この団体から離れる必要がある。僕たちは、教会として、独立する必要がある。YWAMには深刻な問題がある」と説明していました。

 

YWAMの日本の本部に問い合わせれば、実際に、どのような出来事があったのか分かると思います。

 

 

とにかく、偽使徒デローは、正式に、聖書を勉強してはいないようです。

アメリカの教会で刑務所牧師として任命されていたという事実はありますが、

正式な神学校を卒業したという証拠が見当たりません。

 

だから、偽使徒デローは、

正真正銘の偽牧師、偽宣教師、偽使徒でした。

印刷
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
TOP